朝ドラ『ブギウギ』足立紳に加えて櫻井剛も参加 ドラマ脚本、複数人体制のメリットは?

朝ドラの執筆体制を考える

 海外だと、脚本家の複数体制はよりシステム化されていていると成馬氏は続ける。

「海外だとプロデューサーが一番力を持っていて、“プロデューサーの作品”という側面が強い。映画監督がプロデューサーの立場に立つこともありますが、日本のテレビドラマは脚本家が作品の全体像を作っているというイメージが強いんですよね。プロデューサーや演出が複数体制で回す中で、脚本家のクレジットは一人だったりするので、“坂元裕二”の作品、“三谷幸喜”の作品という形で見られることが強い。だから脚本家が複数いて、違和感のある話が放送されると『それは失敗ではないか』と批判されることが多い。1クールの連ドラなら一人の脚本家でも成立しますが、朝ドラは半年と長いため、複数の脚本家で回る方法論を模索せざるを得ないんですよね。『てっぱん』(NHK総合)や『エール』(NHK総合)のように、複数の脚本家によって書かれた朝ドラはこれまでにもありましたが、朝ドラの歴史に残る代表作というと、どうしても一人の脚本家が書いた作家性の強い作品となり、橋田壽賀子、岡田惠和、宮藤官九郎……といった脚本家の名前で作品が語られている。朝ドラに限らず、日本のテレビドラマは脚本家の作品として見られてきた側面が大きいのですが、違う評価軸があってもいいのではないかと最近は思います」

 成馬氏は複数の脚本家によって作られる工夫を、Netflixシリーズの『全裸監督』を例に続ける。

「『全裸監督』は脚本家が4人いて、シーンやキャラクターごとに脚本家を割り当てていったそうです。登場人物が4人いたら、Aのことを書く脚本家、Bのことを書く脚本家、Cのことを……と1話を4人で書くような作りになっている。女性の内面を書く場面ではおじさんが書くのではなく女性が書いた方がいいし、おじさんの内面を書くならおじさんが内面を書いた方がいいという感じで、脚本家も役者みたいな立ち位置になっていた。この書き方はチームライティングが定着しているアメリカの海外ドラマの方法論を咀嚼したものですが、『舞いあがれ!』に対する反発を見ていると『舞ちゃんはこんなこと言わない!』みたいな、脚本家が変わった時に生じる、各キャラクターの行動や内面にブレがあることが許せないという人が多いみたいですね。それは脚本家の視点や作風が変わったことによって生じる違和感ですが、物語やキャラクターの行動に一貫性を求める気持ちはわからないでもない。このズレは、一人の脚本家が同じキャラクターを全話通して書くようになれば、ある程度は解消されると思います。僕自身は、ズレも含めて個々の脚本家の個性を楽しんでいるタイプですが、今の時代は『許せない』という人の方が増えているのかもしれません」

 そしてこの制作体制は、ドラマ界全体の大きな変化も影響しているのではと成馬氏は続ける。

「脚本家を中心に据えたテレビドラマの作家主義のあり方が問われている時期なのかなと思います。海外の作品に比べた時に、一人の脚本家の個性が強く出ている文学性が日本のドラマの大きな魅力となっていたのですが、一人の脚本家が全話執筆するという作り方は、年々難しくなってきている。ドラマというコンテンツが巨大化しすぎているというのも背景にあり、特に海外ドラマに関しては、一人の作家がコントロールできる規模ではなくなっている。日本で言うと、大河ドラマと朝ドラがそうですよね。大河ドラマはまだ作家主義が続きそうな気配がありますが、朝ドラは今後、解体されていくのではないかと思います」

 『ブギウギ』、そして『舞いあがれ!』の世界観がそれぞれチームでどのように繋がれていくのか、見届けたい。

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