今度は“迷惑”な阿部サダヲ 『アイ・アム まきもと』が教えてくれる心を通わせる大切さ
作中でも、そんなまっすぐすぎる牧本を「迷惑なヤツ」と思いながら、その「純粋さ」に心を動かされていく人たちが描かれていく。たしかに空気を読みすぎて、むしろ疎遠になることもある。人の話を聞きすぎて、自分自身を見失うことも。ときには「好き勝手に生きてる」と言われても、思うままに一歩を踏み出すことが大切なのではないかと、勇気づけられる。その結果、牧本がいなければ実現しなかった奇跡の光景が広がっていくのだ。
そしてまた、ふと考える。孤独に亡くなっていった人の死を悼む牧本を、悼む人は現れるのだろうかと。振り返ってみれば、牧本のプライベートはほとんどつかめない。なぜこれほど人の死に対して熱心に取り組むのかも、なぜ自分用の墓地を予め用意していたのか、その背景ははっきりとは描かれていない。整然とした部屋に1人で暮らしながらも、スーツについた赤ちゃんのミルク汚れを愛しそうに見つめ、おいしい紅茶を淹れる塔子(満島ひかり)の影響でティーカップを生活に取り入れているところを見ても、人を求める気持ちはありそうだ。もしかしたらカメラで、塔子との新しい思い出を収めていこうとしていたのかもしれない。
きっと牧本の個性的な行動は今に始まったことではないのだろう。根は真面目で、整理整頓が得意。デスク横に並べられたウェットティッシュだけを見ても、その几帳面さが伝わってくる。一方で、一つのことが気になると並行して業務を進めることが苦手なタイプ。人が話していても、気になることがあればそちらに集中してしまう。だから、人とのコミュニケーションもスムーズにいかない。それは柔軟に空気を読みつつ、マルチタスクを求められる現代社会においては、生きづらさにも繋がっていたはずだ。
生きている人とはなかなか心を開けない。その反動から亡くなった方に寄り添うことになったのではないか、と想像してみたりする。牧本がスクラップしている、みおくった人々の写真は、もはやアルバムとも呼べるものだ。身寄りなく亡くなった蕪木(宇崎竜童)の遺品から、娘の写真が収められたアルバムが見つかったことで、家族への想いを汲み取ったように。牧本にとって、みおくった人々が心を通わせた大切な人々になっていたのかもしれない。
死をきっかけに、知り合うということ。故人を偲ぶところから生まれる恋ごころもある。訃報を聞き、長年の後悔をようやく吐き出せることもある。生きているときにはがんじがらめになってしまっていたそれぞれの想いが、やわらかくほぐされる。こんな殺伐とした現代だからこそ、死してもなお誰かと心を通わせることができるかもしれない、なんておとぎ話のような映画があってもいいではないか。
でも、できることなら亡くなる前にもう一歩踏み出していたら、とも思う。このご時世、なんとなく空気を呼んで疎遠になっている人、ちょっと気になっているのに遠慮して連絡せずにいる人はいないだろうか。この映画を観た人は、牧本の姿をきっかけに、心の片隅にいるあの人に連絡してみてはいかがだろう。それが、まだ見ぬ新たなアルバムへとつながるかもしれないのだから。
参考
※ https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-27.html
■公開情報
『アイ・アム まきもと』
9月30日(金)全国公開
出演:阿部サダヲ、満島ひかり、宇崎竜童、松下洸平、でんでん、松尾スズキ、坪倉由幸(我が家)、宮沢りえ、國村隼
監督:水田伸生
脚本:倉持裕
原作:ウルベルト・パゾリーニ “STILL LIFE”
製作総指揮:ウィリアム・アイアトン、中沢敏明
制作:セディックインターナショナル、ドラゴンフライ
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
製作:映画『アイ・アム まきもと』製作委員会
©︎2022 映画『アイ・アム まきもと』製作委員会
公式サイト:https://www.iammakimoto.jp/