『空白を満たしなさい』阿部サダヲは“もうひとりの自分自身” 3つの“空白”を考える

『空白を満たしなさい』3つの空白

 佐伯(阿部サダヲ)が、徹生(柄本佑)に、千佳(鈴木杏)に、そして、視聴者に問いかけてくる。「あなたたちが信じ込んでいる“幸せ”って一体何ですか?」と。

 土曜ドラマ『空白を満たしなさい』(NHK総合)は、観ていると主人公たちだけでなく、自分自身も吸い込まれ、揺り動かされ、どこかとんでもない場所に辿りついてしまうのではないかと思わずにはいられない作品である。気づいたらこの物語全体を支配している「佐伯」という謎の人物に、視聴者自身がうっかり支配されてしまうような。

 気鋭の作り手たちによって手掛けられたSF・青春・政治ドラマ『17才の帝国』に次いで、NHK土曜ドラマ枠が全5回構成で挑むのは、平野啓一郎原作『空白を満たしなさい』(講談社)である。東日本大震災に見舞われた年の翌年である2012年に発売された原作小説の内容が、コロナ禍の日本社会の息苦しさとリンクし、ここまで痛切に響いてくるのも興味深い。

 『今ここにある危機とぼくの好感度について』(NHK総合)の柴田岳志(現時点までに放送された第1、2回分は柴田演出によるもの、作品全体としては『螢草 菜々の剣』(NHK総合)の黛りんたろうとの共同演出)の演出の見事さ。そして、柄本佑、鈴木杏、阿部サダヲという3人の屈指の演技巧者による、登場人物の繊細な心の揺れ1つ1つを逃さない丁寧な演じ方。それらによって、視聴者は、1度死んで生き返った男(本作では「復生者」と言う)徹生と、彼の周りの人々に起こった物事をただ追いかけるのではなく、その心の奥深いところにまで入り込んで、作品を捉えることができる。

 なにより興味深いのは、映画『死刑にいたる病』(白石和彌監督)の脚本を手掛けた高田亮が、本作の脚本を手掛けているということだ。連続殺人犯・榛村を演じた阿部サダヲの怪演が話題となった『死刑にいたる病』の本当の怖さは、もちろん榛村という存在そのものでもあるのだが、何より、榛村と対峙する岡田健史演じる学生が、彼の話術に乗せられて、榛村そのもの、殺人そのものに魅せられていき、気づいたらシンクロしていく危うさにあった。さらにその学生が、語り手という、観客が最も感情移入せずにはいられない存在であるために、観客はただの傍観者ではいられず、彼との信頼関係諸共、物語の中に引きずり込まれる。これと共通する怖さを、本作の阿部サダヲ演じる「佐伯」に感じる。探しても見つからないが、いつもどこからともなく現れる男。ある時は、ちゃんとロックされていたはずの徹生の車の助手席に座っていて、またある時は、墓参り中の千佳の元に唐突に現れる。彼の言葉は、徹生と千佳が必死で目を背け、言葉にしてこなかった思いを抉り出しているかのようだ。だから2人は、共に耐え切れないように俯き、身体を震わせ、「やめろ/やめて」と叫ぶ。そして、佐伯の言葉は、彼らへの批判に留まらず、物語の外側、日本の社会全体にも及ぶ。彼の鋭い風刺は、視聴者が普段見て見ぬふりをしている現実をも浮き彫りにする。

 いつも薄汚れた身なりをして、どこか異質な感じがする佐伯のことを、彼自身「あいつはどうしても生理的にダメだと、皆、私を毛嫌いする」と言及する場面がある。まるで「佐伯」という存在は、全ての人にとっての「見たくないもう1人の自分」、あるいは「見たくない醜悪な世界」を具現化した幻想のようだ。だが一方で、時折示される、彼の手首に夥しくついた傷跡が、彼が生身の人間であることを主張する。

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