“大怪獣のあとしまつ”は日本映画史の中で繰り返し描かれてきた? 特撮と笑いの難しさ

国産怪獣映画の可能性

「超大作怪獣映画」とは何か?

 先日、山崎貴監督の新作映画エキストラ募集が話題となった。タイトルは伏せられているものの、〈超大作怪獣映画〉で、時代設定は1945~47年の終戦間もない日本だという。映画全編がそうなのか、過去パートなのかは定かではないが、「港にいる船の乗務員たち」「港湾作業員」「元海軍の男たち」「闇市の通行や買い物客たち」「繁華街を逃げ惑う人々」「破壊された街の人々や警官、調査団員たち」「とある会議に集結する元軍人たち」等々のエキストラが募集されている。

 戦後間もない日本に怪獣が現れる映画であることは間違いなさそうだが、オリジナルの怪獣なのか、それとも『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)や、西武園ゆうえんちのアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド」で、1960年代の日本の町並みを背景に暴れさせた山崎監督によるゴジラ映画が遂に実現するのか、様々な憶測がネット上では飛び交っている。

西武園ゆうえんち 「理不尽すぎるゴジラ・ザ・ライド」篇

 エキストラ募集の頁によれば、製作が東宝映画、制作プロダクションが株式会社ロボットとなっている。ここで注目すべきは、製作(=企画立案、製作費捻出)を行うのが、「東宝映画」であるという点だろう。山崎監督のこれまでの作品はすべて製作委員会方式が取られ、東宝をはじめテレビ局などの複数の企業によって製作されてきた(近年のメジャーの日本映画は大半がこの方式である)。本作のような東宝映画単独で製作を行う例は限られている。言ってしまえば、ゴジラがそうである。

 かつて、『シン・ゴジラ』(2016年)の企画を進めるにあたり、総監督の庵野秀明は、製作費の不足分を自身が代表を務めるカラーが出資することを提案したが、「こと『ゴジラ』に関して東宝は全額自社出資の方針は崩さない」(『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』カラー)と語っているように、ゴジラは製作委員会方式を採らない。つまり、この未知の作品も、〈超大作怪獣映画〉でありながら東宝単独製作であることを踏まえれば、かなり絞られるのではないか。

 ちなみに、タイトルには山崎作品の慣例として、「ゴ○ラ SEVEN DAYS WAR」みたいなサブタイトルが付記されるに違いない。2024年、ゴジラは生誕70周年を迎える。

『シン・ゴジラ』がもたらした袋小路

『シン・ゴジラ』(c)2016 TOHO CO.,LTD.

 興行収入82億5千万円を記録した『シン・ゴジラ』以降、国内でのゴジラ映画の製作は6年にわたって停止したままである。これは、レジェンダリー・ピクチャーズ製作のハリウッド版が、2作目となる『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)から『ゴジラvsコング』(2021年)へと、かつて日本のゴジラ映画が毎年新作を送り出していたようなハイペースで製作され、しかも、キングギドラ、モスラ、ラドンまで繰り出して怪獣プロレスをされては、国産ゴジラの付け入るスキが無いことも影響しているのだろう。

 さらに、『シン・ゴジラ』が内容面でも評価されたことから、国産ゴジラ映画のハードルが無闇に上がってしまった面もあるのではないか。庵野秀明という固有の作家性がもたらした面が大きいことが誰の目にも明らかなだけに、第三者が「シン・ゴジラの逆襲」を作るというような、柳の下のドジョウを狙った動きは出てこないまま現在に至っている。

 その影響は東宝だけに限らず、2015年にKADOKAWAが生誕50周年記念映像として、石井克人監督によって新作短編が製作されたガメラも、長編化されると言われていたが、立ち消えになってしまった。『シン・ゴジラ』を受けて、企画を再検討することになったという噂も漏れ聞くが定かではない。

 筆者などは、日本の伝統技術として、きぐるみとミニチュアを用いた特撮を主体としたゴジラを作れば、ハリウッドと差異化が出来て良いと思うのだが、〈ハリウッド映画ばりの日本映画〉こそを最良とする考えが主流では、そう単純にいかないようだ。

 作り手側も、庵野監督のように「造形物だとあまりに表現方法に自由度が少なく、CGの方が効率的にも勝算を感じた」(前掲書)と、CGで、きぐるみのようなゴジラを作り出し、精密に動かす手段を選ぶ監督もいれば、同作で監督を担った樋口真嗣のように、造形物を用いつつ、「それをデジタルで加工することでもっと高い次元まで持っていけた」(前掲書)という主張もあるだけに、造形物とCGのどちらを軸に特撮パートを構成するかでも判断が別れる。

 ことほどさように、『シン・ゴジラ』は従来の国産怪獣映画を超越した位置にまで到達したが、同時にゴジラもガメラも次なる一歩を踏み出すことを躊躇させる1作になってしまったとも言えるだろう。それに、通常の映画の倍以上の製作費が必要となる怪獣映画は、もとよりリスクが大きい。

 平成ゴジラシリーズがヒットしていた90年代半ば、それに倣って各映画会社が自社の怪獣を復活させようとしたが、大映はどうにかガメラを復活させ、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)に始まる高い質を維持したシリーズ三部作を製作したものの、興行的にはゴジラシリーズには遠く及ばなかった。松竹が井筒和幸監督、市川森一の脚本で復活させようとした『宇宙大怪獣ギララ』は、検討用脚本段階で潰えたことを思っても、そうかんたんに怪獣映画は作ることが出来ない。

 東宝にしたところでゴジラが出ない怪獣映画には慎重で、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)を撮り終わった大森一樹監督は、『モスラvsバガン』という脚本を準備していたが、スター(ゴジラ)の不在が興行的な不安材料となり、後にこの内容を『ゴジラvsモスラ』(1992年)へとスライドさせることになった。

 こうして見ていくと、昔も今も、ゴジラを主役にモスラ、キングギドラ、キングコングなどの数少ない人気怪獣が共演するというパターンしか日本版もハリウッド版も手立てはなく、対戦怪獣の登場しない1954年製作の第1作の『ゴジラ』を精神的に継承しつつ、その続編でもある1984年版『ゴジラ』を発展的にリメイクさせた『シン・ゴジラ』は番外編的な立ち位置だったことが、いっそう鮮明に浮かび上がる。それだけに、もし、2024年に新たな国産ゴジラが作られるなら、継続して作り続けられるようなリブートを望みたい。

 ともあれ、2022年2月は、わずか2週間の間に怪獣映画の話題が相次ぐという、珍しい事態が起きた。「超大作怪獣映画」の話題と、もう1本は『大怪獣のあとしまつ』である。

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