“大怪獣のあとしまつ”は日本映画史の中で繰り返し描かれてきた? 特撮と笑いの難しさ

国産怪獣映画の可能性

繰り返し描かれてきた〈大怪獣のあとしまつ〉

 光に包まれた怪獣が活動を停止したところから幕をあける三木聡監督の『大怪獣のあとしまつ』は、河川に横たわった怪獣の死体をどう処分するかで右往左往する総理大臣をはじめとする閣僚たち、現場で実務にあたる特務隊と国防軍の縄張り争いといった要素がてんこ盛りである。なぜか怪獣の名前に“希望”という見当外れな名称が閣議決定しまうのも含めて、現実の日本社会を色濃く反映させている。『シナリオ』(2022年4月号)で三木監督は、「辻褄は物語を痩せ細らせるだけだ」と述べ、「大切なのはどこかに行こうとすることだけである」と喝破している。確かにそうである。怪獣のあとしまつに従事する人々を描けば、それだけで映画が動き出すはずである。

 庵野監督は『シン・ゴジラ』で、ゴジラに対処する人間を描くだけで十分ではないかと当初から意図していたが、製作サイドからはなかなか理解が得られず、「『観客が感情移入できる分かり易い主人公が娯楽映画には必要。その為には恋愛や家族、友情などの描写が必要』と考えている人達には、この指針がなかなか納得してもらえない」(『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』)と漏らしていた。結果として、そうした余分な要素を一切入れないことで『シン・ゴジラ』は成功したが、『大怪獣のあとしまつ』も同様に作られていればさぞかし面白くなったに違いない。ところが、どういう過程を経たのか、三木監督の言葉とは裏腹に従来の日本映画が求めるフォーマットがそのまま踏襲されてしまっている。三角関係や友情などの描写が、怪獣のあとしまつという一直線の物語に余計な重荷となっているのである。

 殊に山田涼介が演じた主人公の帯刀アラタは、閃光に包まれて2年間行方不明になっていた過去を持つが、オチの想像がつくとはいえ、大きな謎を抱える人物を中心に置いているだけに、思い出したように時折、回想と台詞で思わせぶりに空白の過去が語られるたびに、怪獣をあとしまつする物語の流れが止まってしまう。さらに既婚者である土屋太鳳がアラタに向かって「元彼に何やら期待しすぎ?」「これからも『好き』の残骸を抱えて生きていけって言うの?」「今でも愛してるわ」などとキモチワルイ台詞を吐く不倫ドラマのパートを、かなりの時間を割いて描くアンバランスさも理解に苦しむ。

 そもそも、〈大怪獣のあとしまつ〉という設定自体が斬新なのかという点も考える必要がある。幼い頃に読んだウルトラマン関連の本に、倒された怪獣がその後どうなるかが記されていた。いわく、死んだ怪獣を処理する専門の部隊があり、死んだ怪獣が漂う空間が云々――と書いてあったと記憶する。以来、そうした光景をひと目見たいと思いながら、シリーズを再放送やビデオで観ていったが、そんな場面にはなかなか遭遇しない。この手の解説本はかなりの創作が入っていたことを後から知ったが、『ウルトラマン』の第35話『怪獣墓場』を観たときに、どうやらここがネタ元らしいと気づいた。ウルトラマンに倒され、宇宙へ放り出された怪獣たちが漂う空間を見つけた科学特捜隊が、これまで倒れた怪獣たちに憐憫を催して怪獣供養を行う。これこそ〈大怪獣のあとしまつ〉を描いた最高傑作だと今も思うが、その後も、『ウルトラマン研究序説』(中経出版)には、「ウルトラマンによって倒された怪獣(宇宙人)の死体処理は誰が行うべきか」という論考が掲載され、話題になった。

 もっとも、こうした描写は、古くから怪獣映画の中で描かれてきている。『モスラ対ゴジラ』(1964年)では、海岸に巨大な卵が漂着し、それを地元の漁師から買い取った興行主が、レジャー施設を建設して見世物にしようとする。その卵はインファント島から流れてきたモスラの卵で、島へ返還するよう求める勢力と興行側とでひと悶着が起きる。これなど巨大生物の残骸にどう対処するかを、見事に物語の導入部に用いている。

 また、1979年に雑誌『スター・ログ』へ、大林宣彦の原案・構成、大友克洋の絵で掲載された『A SPACE GODZILLA』(後年の平成ゴジラシリーズに登場したスペースゴジラとは無関係)には、海岸に横たわるゴジラの遺体を解体する光景が描かれていた。ゴジラの頭部や腕のあたりには足場が組まれ、腹部からは内蔵が露出し、それを除去するクレーン車が数台稼働しているというイラストで、『シン・ゴジラ』のクライマックスに近いイメージだ。こうした1枚の絵だけでも、怪獣の死体処理は大きく想像をかきたててくれる。

 大林は後にこの原案について、「ゴジラの腑分けなどやったらどうなるだろう、と思った。それで九十九里の浜で、糖尿病で死んだゴジラがみつかって」(『A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』立東舎)と、その発想を明かしているが、80年代には大林のもとにゴジラ映画の監督オファーがあったものの、流石にこのアイデアは実現しなかった。

 しかし、『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)の企画段階でも、金子修介監督からは海岸に打ち上げられたガメラの死体から始まるというアイデアが出たというし、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)には九十九里浜に打ち上げられたガメラならぬカメーバの死体が登場し、自衛隊が身体に大きく亀裂の入った死骸の検分と回収を行っていた。梯子をかけてカメーバによじ登り、作業を行う自衛隊員も映っていたが、これなどは前述の『A SPACE GODZILLA』に描かれたイラストの実写化と言えよう。

 こうして見ていくと、『大怪獣のあとしまつ』に感じる既視感は、これまでの怪獣にまつわるテキスト、イラスト、映画から蓄積されたものであることに気づくが、そうは言ったところで、ここに列挙したのは、映画の一場面でしかない。怪獣処理をめぐるゴタゴタのみで全編を描いてみせた本作品は、〈誰もが見たことがない空想特撮エンターテイメント〉と大きく喧伝されているが、実はすでに同じコンセプトで作られた『怪獣の日』(2014年)という質の高い自主製作の短編映画が存在する。

怪獣の日(2014)/Day of the kaiju - English subtitles -

 小さな町の砂浜に巨大生物が流れ着くところから始まる『怪獣の日』は、その処理をめぐって町が二分する騒ぎとなる。保管施設を建設すれば、国からは年間20億円の補助金が支給される。過疎化で満足な公共サービスも出来ない町は、この機会に乗じようと怪獣の死体を保管するための建屋を作り始めるが、未知の生物ゆえに、従来の死亡確認だけでは信用しきれないのではないかと主人公は疑問を感じ始める。やがて町は賛成派と反対派の対立が大きくなっていく。

 誰もがここに、これが東日本大震災を経た原発をめぐる論議の暗喩であることに気づくだろう。『シン・ゴジラ』の2年前に、怪獣=原発という視点で、〈大怪獣のあとしまつ〉を、それも30分の自主映画で無駄なく描いていることに驚嘆させる。何より、壮大な物語をミニマムな視点から描く語り口が絶妙で、舞台の大半を小さな町に限定させた点も素晴らしい。

 実を言えば、『大怪獣のあとしまつ』が作られると耳にしたとき、『怪獣の日』がメジャーでリメイクされたと思い込んでいたほどだ。それだけに、これらを凌駕するアイデアが盛り込まれた作品を期待してしまうのは当然だろう。

企画と映画のスケールが不一致?

 映画の宣伝において、NGワードと言わないまでも、積極的には取り上げないタイトルが存在することがある。再映画化作品の場合、宣伝の方針で前作を意図的に伏せたり、軽くふれる程度にしておくこともある。マスコミ用の試写会に行くと、ネタバレなどの注意事項と共に、そうした〈お願い〉が記されている場合もある。

 『大怪獣のあとしまつ』は試写で観ていないのでわからないが、『シン・ゴジラ』のタイトルが、紹介記事やパンフレットには不自然なほど控え目にしか出てこない。その絶大な影響下にあることが明らかにもかかわらず、である。むしろ、その影響を否定するように、企画自体が14年前から存在し、映画化に向けて動き出したのは2014年からで、その3カ月後には第一稿脚本が脱稿されたとパンフレットには記されている。つまり、『シン・ゴジラ』以前より動いていた企画なのだと言っているわけだ。

 たしかに怪獣によって総理大臣をはじめ閣僚が右往左往する姿は定番であり、それをコメディタッチで描くのは、『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年)などもある。しかし、原発事故や新型コロナウイルスへの暗喩が散りばめられると、そうも言っていられない。前述の『怪獣の日』や『シン・ゴジラ』が、すでに同様の形式で映画化している上に、後者と同時期に公開された『太陽の蓋』(2016年)が東日本大震災における原発事故に混乱する首相官邸内部を実録タッチで描いており、『シン・ゴジラ』がそれを怪獣に置き換えてカリカチュアされていただけに、さらにもう一捻りしてくれなければ物足りない。

 もっとも、監督が三木聡だけに、予告編の段階で脱力系コメディになることは明らかだったが、大作のような構え(実際にはそこまで巨額の予算がかかっているわけではないそうだが)では、作風が合わないのではないかと危惧した。というのも、舞台やテレビでの仕事は置くとして、映画に限定すれば、200年代の三木作品――『亀は意外と速く泳ぐ』(2005年)、『転々』(2007年)などは、低予算のこじんまりした作りで淡々とした日常を描き出し、そこからナンセンスな飛躍を生み出していた。こういった作品は、ミニシアターでごく少数の観客の一人として観ている分には、映画と客席の距離も程良く感じたが、2010年代に入って撮られた『俺俺』(2013年)、『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』(2018年)は、シネコンで拡大公開されることを見越した企画だったせいもあるのか三木作品固有の魅力が薄れていた。そして『大怪獣のあとしまつ』を公開2週目の日曜日に、丸の内TOEIの500を超える客席で10人に満たない観客の1人として観ていると、企画と映画のサイズの不一致ぶりをいっそう感じてしまう。

 怪獣映画は製作費が通常の映画よりも高騰するだけに、こうした企画が考案された時点で、大作になるのは義務づけられていたのではないかと思われるかもしれないが、怪獣を一切登場させないで見せる『大怪獣東京に現わる』(1998年)のような作り方だってあるのだし、今回、特撮監督を務めた佛田洋も、脚本を読んだ時点では「特撮はモニター画面を通すなど間接的で、あくまでドラマ押しなんじゃないかと思いました」(劇場パンフレット)と語っている。結局、劇中に登場する怪獣は、ゴジラなどを手がけてきたベテランの造形師・若狭新一によって全長6メートルサイズで作られ、本格的な特撮映画を作る体制になったことで、企画段階にあった面白さの大部分は消えたのではないか。

 かつて水野晴郎が監督・主演した『シベリア超特急』(1996年)がカルト映画になって一部で人気を博し、続編が作られることになった。スタッフは「次はカルト映画なんて言わせない」と立派なセットを建てて完成度を高めた。実際、『シベリア超特急3』(2003年)あたりになると、別の映画のように撮影も美術も質が高くなっている。しかし、監督と主演は相変わらず水野晴郎なので、カルト映画だった作品が、ただの無個性な出来の悪い映画になってしまった。スタッフの献身的な好意が映画の面白さを削ぐことになったわけだ。

 そのエピソードを思い出したのは、『大怪獣のあとしまつ』が新型コロナウイルスによって撮影が中断している間に、時間に余裕が出来たCG班がクオリティを上げていったことの是非を感じたからである。それが監督の気に入るところとなり、当初はミニチュア7割、CG3割の比率で使用する予定が逆転することになった。それはまるで、小さな器に入れておけば、それなりに見栄えが良かったものが、器が大きくなり、いつの間にか装飾が華美になればなるほど、器の中身が貧弱に見えてしまうかのようだ。本作で三木聡的な笑いは、豪華なセットやVFXの中で居心地悪そうに点在し、精彩を欠いている。

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