『カムカム』錠一郎はなぜトランペットを吹けなくなったのか 喪失感の先に見つけた光
NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』。第13週は、これが同じドラマかと思うほど、第58話、第59話(大阪編)と第60話から第62話(京都編)までの空気感が異なっていた。まるで純文学とホームコメディのように。
その1番の理由はジョーこと大月錠一郎(オダギリジョー)の心情の変化。どうして彼はトランペットだけ吹けなくなったのか、さらに、るい(深津絵里)との結婚後、なぜジョーはあれほど穏やかな日常を過ごせるのか。そこにフォーカスをあて考えてみたい。
ふたりが出会うきっかけとなったクリーニング店。ジョーが服をケチャップで汚していたのは彼がホットドッグを常食していたからで、なぜジョーがいつもホットドッグを食べていたかというと、それは彼にとって“家族”との思い出の味だからだ。
その“家族”こそ、るいの母・安子(上白石萌音)と父・稔(松村北斗)の恋を後押しし、安子にジャズの素晴らしさを手渡した岡山の喫茶店「Dippermouth Blues」マスター・柳沢定一(世良公則)。
戦災孤児のジョーに食事をさせて音楽を教え、大きな月の晩に自らの名前の一部を入れて「大月錠一郎」と新たな名を付けたのも定一。るいとジョーは本人たちが出会うずっと前から定一とルイ・アームストロングが吹く「On The Sunny Side Of the Street」の音色を媒介に繋がっていたのだ。ふたりはまだパズルのピースすべてに気づけてはいないけれど。
ジャズ奏者としての成功が約束され、ライブやレコード録音のために東京へ行ったジョーがトランペットを吹けなくなった理由。それは自分にとって何よりも大切なトランペットの演奏を誰かに頭から否定されたり、音楽が商売の道具になることを無意識に心が拒否したからではないか。
ジョーにとってのトランペットは単なる楽器でも生活の糧を得るためのアイテムでもなく、人生を開いてくれた宝物であり、定一から託された“家族”。だから彼はそれまでトランペットの腕を他者と競うことを避けてきた。映画のセリフとるいの励ましに背中を押され、コンテスト出場を決めるまでは。
トランペットを吹けなくなったジョーは大阪に戻って旅館に身を隠し、周囲の期待に応えられなかった後悔と責任感に押しつぶされそうになりながら、るいやライバルであり友人でもあるトミー(早乙女太一)とも距離を取る。そして、海。何かに憑かれたように水の中を進むジョー。
そんなジョーをるいは「わたしが守る」と抱きしめる。ふたりは結婚し、居を京都に移して新しい生活をスタートさせた。
通常のドラマであれば、ここから始まるのはトランペットを吹けなくなった男の苦悩や葛藤と、それを支える妻の物語だろう。が、ジョーはまるで何事もなかったかのように穏やかで、なんならトボけたようにも見える日常を送る。人生の転機となった映画で「暗闇でしか見えぬものがある、暗闇でしか聞けぬ音がある」と語った俳優・桃山剣之介(尾上菊之助)の死を荒物屋のテレビで知っても、いちファンのようにぼーっと涙を流すだけ。「今ならトランペット吹けるかも」とはならない。まるで彼の人生に、音楽もトランペットも最初からなかったような京都での生活ぶりである。
それはなぜか。