エミリー・ブラントが体現する力強き女性像 『ジャングル・クルーズ』など近作での躍動

エミリー・ブラントが体現する力強き女性像

演技による克服

 『ジャングル・クルーズ』は、フランク・ウルフ(ドウェイン・ジョンソン)を愉快で、どこまで信用していいか分からない案内役と設定することで、ディズニーのアトラクションとしてのジャングルクルーズをクレバーな発想で踏襲する。フランク・ウルフによって仕掛けられたアトラクション。ジャングルクル-ズという「見世物」としての遊戯。仕掛けられた虚構の世界に迷い込む姉と弟の「冒険」。

 映画は植物学士である姉リリー(エミリー・ブラント)の書いた論文を、弟マクレガー(ジャック・ホワイトホール)が発表する学会(冒険協会)のシーンから始まる。著者であるリリーは、壇上でマクレガーが読み上げる原稿を離れた席から同時進行で音読する。ここでマクレガーはリリーの「声」を演じている。この『ジャングル・クルーズ』の冒頭シーンに、演じることによって自身のコンプレックスを克服していったエミリー・ブラントの歩みが、まったく思いがけない形で重なっていく。

 幼少期から吃音に悩まされていたエミリー・ブラントは、他者の言葉、声を演じることによって自身を切り離す=自身を発見することに成功したという。エミリー・ブラントは吃音の体験を次のように語っている。

「話すことができないことが多いので、すべてを観察することになります。主に、相手が自分をからかっているのか、理解してくれているのかを見極めるために。そのおかげで、私はより感情移入しやすく、観察力が鋭くなったのだと思います。私は人の真似をするのが好きです。自分が演じている役に、自分が知っている人のエッセンスを入れるのが好きなんです。それが抽象的なものであれ、鋭敏な認識であれ、人を演じる際の選択に違いが出てきたのだと思います」

 パヴェウ・パヴリコフスキ監督の『マイ・サマー・オブ・ラブ』(2004年)で、家出少女モナ(ナタリー・プレス)を翻弄する、お金持ちの少女タムジンを演じたことで、エミリー・ブラントは英国で最も有望な新人女優としての評価を得る。自分とはまったく出自の違うモナに魅せられつつ、モナを翻弄する謎めいた少女タムジン。タムジンは平気でモナに嘘をつくが、自身の気持ちには嘘をつかない。計算されているようで、その実、行き当たりばったりなタムジンの行動。少女期の不安定な情緒。短絡的な悪戯による残酷性。しかし、それらは結局のところタムジン自身を苦しめることになる。

 エミリー・ブラントは、『マイ・サマー・オブ・ラブ』のメイキング映像の中で、「タムジンはメソッド・アクター」だと語っている。状況に合わせて想像上の経験、感情をモナの前で演技する「俳優」。タムジンのひと夏の経験は、モナという他者を自身の中に取り込んでいく演技のための研究、そのプロセスのようにさえ思える。他者の持つ経験、それによって得た感情への観察と、その感情を想像上で自身にトレースしていく行為が自身の発見へと繋がっていく。

 『ジャングル・クルーズ』のリリーは、姉の言葉で弟に「演じる」ことを望んだ。そして弟は、姉との「冒険」によって自らの言葉を獲得していくことになる。その克服のプロセスに、エミリー・ブラントの演技を介した実体験が偶然にも重なっていく。

孤独に闘う女性の肖像

 『ジャングル・クルーズ』では、マクレガーが論文を発表する裏で、リリーによる小さなスパイ活動がカットバックで紡がれる。ここでの可動式の梯子を使ったドミノ倒しのようにスクリューボールなアクションを披露するエミリー・ブラントは、見事に映画の古典性と接続している。『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(ロバート・ゼメキス監督/1984年)や、『アフリカの女王』(ジョン・ヒューストン監督/1951年)といった、秘境冒険映画のスピリットを正統に受け継ぎながら、『ジャングル・クルーズ』は、冒険の主導権を完全に女性が握っているという点が何よりも魅力的だ。

『ボーダーライン』(c)2015 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 エミリー・ブラントは、トム・クルーズと共演した『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(ダグ・リーマン監督/2014年)を皮切りに、戦う女性が描かれた作品への趣向を強めていく。翌年の『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督/2015年)も含め、女性がほぼ出てこない作品に続けて出演している。しかも、どちらも所謂ヒロイン的な役割から遠く離れた、男性社会の中で孤独に任務をこなす女性を演じている。麻薬カルテルとの闘争を描いた『ボーダーライン』においては、この戦いがどこまでも男性主導の戦いであることに振り回され、傷ついていく、孤高の女性戦士を演じている。これらのキャラクターに共通するのは、むしろ観察者として男性社会に潜り込みながら、その仕組みを暴き、同じ土俵で競争するために剝き出しで傷ついていく、孤独な女性の肖像だろう。

 タイムループを繰り返す『オール・ユー・ニード・イズ・キル』で、300回の死=リセットを体験してきたリタの顔には疲労が宿っている。近年のエミリー・ブラントには、うっすらと顔に汗を浮かべながら、頬が何かで汚れている戦う女性のイメージが浮かんでくる。それは『ジャングル・クルーズ』においても同様で、いつも動きやすいパンツルックのリリーは、フランク・ウルフからそのことを茶化されたりする。

 また、古典映画との接続でいえば、すでに『メリー・ポピンズ リターンズ』(ロブ・マーシャル監督/2018年)で、初期のカラー映画的な彩色や衣装との相性の良さを実証していたエミリー・ブラントの続きが、『ジャングル・クルーズ』には用意されている。船上でフランク・ウルフと手回しのカメラで遊ぶシーンにおける、白黒のプライベート8ミリカメラで捉えられたような映像は、縦軸に流れていく物語の制約から解放され、唐突に別の物語、サイレント映画の世界へと誘う不思議な魅力に溢れている。

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