『おかえりモネ』安達奈緒子の“時間”の描き方に息を呑む もどかしく愛おしい登場人物たち

『おかえりモネ』“時間”の描き方の秀逸さ

 NHKの連続テレビ小説『おかえりモネ』の「登米編」が終わり、ヒロイン・永浦百音(清原果耶)が、いよいよ東京に向かおうとしている。回を重ねていくごとに登場人物たちの人生の深層に近づいていく、斬新で、ことさら繊細な作りの朝ドラだ。震災の記憶と共にありながら、それでも前を向いて生きる人々に丁寧に寄り添うために、このドラマは常に、彼らの「現在」の視点から、その背景に立ち現れる「過去」を描く。

 彼らがカレンダーをめくるたび、もしくは、年末の、百音と菅波(坂口健太郎)のあまり進展がない会話が繰り返されるたび、さらには東日本大震災からの年数が登場人物たちの口からカウントされるたび、彼女・彼らの「現在」が我々の生きる「現在」に近づいてくる。

 新次(浅野忠信)の「俺は絶対に立ち直らねえよ」という過去に留まろうとする言葉が、亮(永瀬廉)の「過去に縛られたままで何になる。ここから先の未来まで壊されてたまるか」という、振り絞るような声が、彼らの葛藤が、ものすごく近いところにあることを実感し、ドキリとさせられる。

 久々に現代を扱った朝ドラであるというのもあるが、第14話と第37話において、百音視点、及川家視点の「震災」が、そこに至るまでの日々の多幸感に満ちた、ひたすら美しく輝かしい描写の連なりの末に、震災発生時を示す時計の文字盤、もしくはそれらが突然失われてしまったことを示す数々の物証が突如示されることによって、一際残酷に描かれたことからもわかるように、脚本の安達奈緒子による「時間」の描き方の秀逸さに息を呑んでばかりである。

 第9週は、登米編の始まりでもある第1週を思い起こさせる週であった。第41話の川久保(でんでん)と翔洋(浜野健太)は、初回同様それぞれに石ノ森章太郎と登米能の話をしている。サヤカ(夏木マリ)と川久保が、百音に惜別の言葉を投げかける時に用いられたのも、百音がこれから進む「空」の仕事と親和性が高い「雨」にまつわる、能の舞の話と石ノ森章太郎の絵と言葉だった。それは、「全て繋がっている」という本作のテーマとも通じる、登米編の締めくくりとして、最も相応しい描き方だったように思う。

 第2話において、サヤカが「(この木のように)焦らなくてもいい、ゆっくりでいい」のだと百音に語りかけていた、樹齢300年のヒバの木は、サヤカや百音たちに見守られて、大往生を遂げた。第3話において震災当時のことを聞かれ「私はいませんでしたから」とだけしか口にすることができなかった百音は、第43話で菅波相手に、初めて自分の口から「いなかった」理由を明かし、第45話で家族に、それまで言えなかった「島を出た理由」を明かしている。自分自身のことを多く語ることがなかったヒロイン・百音は、第9週にして、ようやく本心を語ったのだった。

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