【ネタバレあり】『片思い世界』は坂元裕二の集大成に “目に見えないもの”を視覚化する試み

2021年に大ヒットを果たし、異例のロングランを記録した映画、『花束みたいな恋をした』。その監督・土井裕泰と、脚本の坂元裕二による、4年ぶりの新たな映画作品『片思い世界』が公開された。広瀬すず、杉咲花、清原果耶という、人気俳優がトリプル主演という豪華さも話題となっている。
驚くのは、坂元裕二自身が、「自分の38年の脚本家人生は、これを書くためにあったんだな」と語っている点である。ここでは、そこまでのことを脚本家に言わしめた本作『片思い世界』の内容を振り返りながら、そこで何が描かれたのか、どんな思いを込めたのかを探っていきたい。
※この記事では、映画『片思い世界』のストーリーにおける重要なポイントや展開を明かしています。ご注意ください。
本作の舞台となるのは、現代の東京の片隅だ。美咲(広瀬すず)、優花(杉咲花)、さくら(清原果耶)の姉妹のような3人は、家族でも同級生でもないのに、なぜか古い一軒家で身を寄せ合って楽しく暮らしている。だが、観客はその生活を垣間見るなかで、さまざまな違和感をおぼえることだろう。美咲が仕事をする会社のオフィス、優花が講義を受ける大学、さくらのバイト先の水族館では、誰も彼女たちに話しかけないのである。そればかりか、目を合わせることもない。
序盤からあっさりとネタばらしされてしまうのだが、この3人、いわゆる“幽霊”なのである。12年前、子どもたちの合唱団の練習場で、彼女たちは幼い頃に、凶悪な犯罪者の犠牲者となっていた。身体を失った3人は天国などの宗教的な世界に旅立つわけではなく、現世にとどまってお互いを支え合いながら生活を続けたのである。だから3人の声は生きている人々には届かないし、視認されることもない。
そういう状態でも彼女らは成長を続け、それぞれの性格に合った場所で仕事や学業をこなしているというわけだ。大人になることができるのは、身体のない“思念”のような存在だからなのか、物理的ではないイメージの服を着たり食べ物を食べ、乗り物に乗ったりしながら、生きている人々の営みを3人は観察してきた。そして12年経ったいま、彼女たちの前で節目となる出来事が起こり、さまざまなことが動き出す。本作は、そこでそれぞれに心情を変化させていく3人の姿を映し出していくのだ。
生きている人に見えない幽霊の物語は、これまでいろいろな映画で描かれてきた。そういう存在がいたとして、その生活や人間ドラマを死者の立場から丹念に描こうとするというのが、本作の主要な試みだ。これは、登場人物たちのやり取りの細部を、多くの受け手が共感できるリアリティとともに表現してきた、坂元裕二ならではのアプローチだといえよう。
劇中の生きている人からすれば、彼女たちは目に見えないゴーストであるが、逆に彼女たち死者の目線から見れば、けっして人とはかかわることのできない、東京の街、世界全体がゴーストのようでもある。観客によっては、その存在や生活に共感できるものがあるかもしれない。他人とはあまりかかわらず、ダイナミックな都市の躍動や市民の活動にも積極的に参加することをせずに、静かに自分一人の時間や、身近な人との時間を過ごすことで人生を生きている人は少なくないのではないか。ことに、新型コロナのパンデミック後、そういう個人の枠のなかで過ごす傾向は強まったように感じられる。
とくにパンデミックを多感な時期に経験している若い世代には、その感覚は強いだろう。感染状況が深刻だった時期は修学旅行が中止になるケースが多かったが、現在も修学旅行に参加しない学生が増加しているという。デジタル機器の進化やSNS、ネット通販などの普及によって、極力フィジカルを通さずに人生を送ることも可能になりつつある。もちろん、技術の進歩によって助けられる人が多いのも事実だし、「そういう生活が生きる実感を奪っている」とするのは、上の世代の勝手な思い込みなのかもしれない。劇中の3人のように、それでも楽しく生活を送ることは可能なのだ。























