「女って何?」を音楽に乗せて 『FM999 999WOMEN’S SONGS』で迷い込む“異世界”
「これはミュージカルなのか?」と問われれば、物語上の現実に突発的に歌や踊りが現れるという一般的なミュージカルのイメージとは異なる点は「ミュージカルではない」といえる。しかし、芝居と歌が融合し、かつ歌が登場人物の心情を表しているという点において、この『FM999 999WOMEN’S SONG』はまぎれもなく「ミュージカルである」と言わざるを得ない。
悩み多き主人公の意識下でミュージカルが引き起こされる。構造としてはロブ・マーシャル監督の『NINE』に近いものがあるか、いずれにせよ“新感覚”という常套句による触れ込みも納得できる、なんとも不思議な作品である。
16歳の誕生日を迎えたばかりの主人公・清美がふと呟いた「女って何?」という呟きによって、突如「FM999」という脳内ラジオが再生される。そこではDJの導きによって、清美の悩みに応じた曲が3曲、3人の女によって代わる代わる披露されていくのだ。清美のほぼ独り言のようなパート、歌い手たちによるミュージックビデオさながらの歌唱シーンはそれぞれ独立しており、それらの合間に清美とDJや歌い手との脳内での対話が繰り広げられていくのだ。
メガホンを取る長久允監督といえば、ミュージックビデオやテレビCMのフィールドで活躍したのち、短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』がサンダンス映画祭に出品され高評価を獲得。一昨年『ウィーアーリトルゾンビーズ』で長編デビューを飾った気鋭の作り手だ。同じようにMVやCMから映画の世界へと進んできた監督は数え切れないほど存在するが、ごく数分程度持続する瞬発的なインパクトで輝くMV/CM向きの映像スタイルを、長編作品にもそっくりそのまま持ち込めるだけの勇気を持つ作家というのはなかなかいない。
27分だった『そうして私たちはプールに金魚を、』では、チャプター分けを施すことで作品としての息切れを抑制することに成功し、2時間の長さがあった『ウィーアーリトルゾンビーズ』ではチャプター分けはもちろん、ここぞとばかりに印象的なショットや表現を散りばめ、中間でかなりエモーショナルなミュージックビデオシーンを挟み込んだ。そう考えると、今作のようにあらかじめ分割された1話30分程度の尺の中に、さらにミュージックビデオの要素(しかも1話あたり3本も)を織り込んでいきながら、主人公の物語を徐々に前進させていくというスタイルは、この作家に最も適していると思える。
26日からWOWOWオンデマンドで配信されている第1話では、冒頭から細かくリズミカルなカット割が繰り広げられ、16歳になったばかりの主人公のぐちゃぐちゃな心情と、彼女自身の手によって壁に打ち付けられてぐちゃぐちゃになったケーキが同じクローズアップのカメラワークで重ねられていく。そしてどこかドールハウスのような色調豊かで閉塞感に満ちた室内と、奇抜なカメラ位置で一気に惹きつけると、開始わずか1分半ほどで脳内ラジオに接続。一番目の女(宮沢りえ)・毛皮のコート着る女(メイリン)・そこだけ雨が降る女(菅原小春)が歌い手として登場し、ユニークかつ耳に残る楽曲を経て、今後のエピソードへとつなげる意味深なシーンがインサートしていく。なんだかドラマを観ているというよりは、異世界へと迷い込んでしまったかのような感触さえ覚えてしまう。