山崎貴は日本のJ・J・エイブラムス? 『DESTINY 鎌倉ものがたり』からその“作家性”を考察

山崎貴監督の「作家性」を再考する

山崎映画と「○○的なもの」

 また、山崎の映画がいわゆる「シネフィル」と呼ばれるようなひとびとから往々にして敬遠されがちなのも、やはりこのあたりに原因があるだろう。藤津氏がどこまで意識して述べられていたのかはわからないが、彼が語っていた、山崎が描いているという「世間が漠然と思ってる一般的イメージ」や「みんながふんわり思っている○○」という要素とは、かつて蓮實重彦が名著『監督 小津安二郎』(初版は1983年)のなかで小津安二郎の映画を論じる際に出した「小津的なもの」というキーワードを思い出させる。

 世界的にも有名な、この昭和の国民的映画監督を論じ、「誰もが小津を知っている」というあまりにもよく知られた書き出しから始まるこの本で蓮實がいう「小津的なもの」とは、要は、まさに「「小津安二郎」をめぐってみんながなんとなくぼんやり知っている(と思い込んでいる)情報やイメージ」のことである。有名な作品になると、その作品を別に具体的に見ていなくても、社会的に流通しているステレオタイプのイメージというのが存在する(たとえば、村上春樹でいえば、「35歳くらいの男性主人公がやれやれと呟きながらパスタを茹でつつ、カート・ヴォネガット読んでます」みたいな……)。

 ただ、当然ながらそれは「小津安二郎の映画を知っていることにはならない」というのが蓮實の主張だ。だからこそ彼は、「視線に可能なことは、せいぜい画面を見ることでしかあるまい。ところで人は、画面を見ることによって何を学ぶか。見ることがどれほど困難であるか、というより、瞳がどれほど見ることを回避し、それによって画面を抹殺しているかということを学ぶのである。/誰もが小津を知っており、何の危険もともなわぬ遊戯として小津的な状況を生きうると確信しているのは、誰も小津安二郎の作品を見てなどいないからだ。小津的なものとは、瞳が画面を抹殺した後ではじめて可能となる映画とは無縁の遊戯にすぎない」(増補決定版、2003年、6頁)と、その「小津的なもの」だけで小津映画をわかった気になっている映画ファンを批判し、「画面を見ること」(いわゆる「表層批評」)を積極的に評価したのだ。

映画『ルパン三世 THE FIRST』(c)モンキー・パンチ/2019映画「ルパン三世」製作委員会

 話を戻すと、もうお分かりの通り、藤津氏の指摘は、山崎の映画とはまさに蓮實が批判したような、「『ドラえもん』的なもの」、「『ドラクエ』的なもの」、「『ルパン三世』的なもの」……そして、『DESTINY 鎌倉ものがたり』でいえば「鎌倉的なもの」や「江ノ島的なもの」のイメージを連綿と描き続けている映画作家だということになるだろう。そして、だからこそ現代日本において山崎映画が大衆的に支持され、他方で映画批評からは言及されることが少ない、という背景にもなっているのだと整理できる。

正和の父母のドラマに見る山崎の作家性

 ところで、『DESTINY 鎌倉ものがたり』には、私から見ると、まさに山崎映画の特徴を表すような、あるドラマ展開が登場する。そのことを最後に指摘しておきたい。

 物語の前半で、正和には夫婦のあり方をめぐって幼少期に抱かれた疑惑があることが明らかになる。それは、正和の母・絵美子(鶴田真由)が大学教授であった父・宏太郎との暮らしの陰で、密かに小説家・甲滝五四朗(三浦友和)と逢瀬を重ねているところを目撃してしまった正和が、自分は実は甲滝とのあいだの子どもなのではないかと疑っているというものだ。しかし、後半の展開を詳しく書くことは控えるが、この父母をめぐって正和を悩ませる「隠された疑惑」は、結局、「隠されたものは何もなかった」ことが最後に明らかになる。いいかえれば、この父母のドラマは、「すべてが見えており、物語は最初から何も進展していない」のだ。

 これは山崎の映画の本質そのものではないだろうか。繰り返すように、その高度なCGやVFXによって、山崎の映画では何もかもが観客の目の前につねにクリアにわかりやすく可視化されており、また、物語も基本的には現状を肯定するものが多い(彼の映画でしばしば用いられるフラッシュバックの手法もこの印象を強化している)。そして、その映画世界は、確かに2000年代以降のポピュリズム化(反知性主義化?)した日本社会の「空気」とほどよくマッチする。これが、強いていえば山崎貴という監督の「作家性」なのではないだろうか。

 とはいえ、エイブラムスと同様、山崎の映画作家としてのこうしたスタンスを、私は単純に否定的に捉えてもいない。安倍政権が退陣し、コロナ危機が到来し、オリンピックが終わったあとの2020年代の社会で(大枠は変わらないだろうと予想しつつも)、こうしたあえていえば「山崎的なもの」がどう変わるのか、それとも変わらないのか。日本人としても映画批評家としても、その行方を注目していきたいと思っている。

■渡邉大輔
批評家・映画史研究者。1982年生まれ。現在、跡見学園女子大学文学部専任講師。映画史研究の傍ら、映画から純文学、本格ミステリ、情報社会論まで幅広く論じる。著作に『イメージの進行形』(人文書院、2012年)など。Twitter

■放送情報
『DESTINY 鎌倉ものがたり』
日本テレビにて、9月25日(金)21:00〜23:24放送
出演:堺雅人、高畑充希、堤真一、安藤サクラ、田中泯、中村玉緒ほか
監督・脚本・VFX:山崎貴
原作:西岸良平
音楽:佐藤直紀
(c)2017「DESTINY 鎌倉ものがたり」製作委員会

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