菅田将暉が演じた主人公は山崎貴の“自画像”だ 『アルキメデスの大戦』が描く倒錯した唯美史観

荻野洋一の『アルキメデスの大戦』評

 山崎貴という作り手を、後世の人はいったいどのように評することになるのだろうか? 彼は今や日本を代表するヒットメイカーとなり、多くの有名俳優たちが起用してくれと直談判するほどのセレブリティだ。しかし、何か様子がおかしい。この奇妙な感覚は気のせいかもしれないが、山崎の師匠筋にあたる伊丹十三が映画監督として全盛期を迎えた1980年代後半から1990年代前半にも身に覚えのある感覚である。伊丹十三の活躍には常に得体の知れない空虚が付きまとっていた。一方、山崎のキャリアについて言えば、2000年の監督デビュー作『ジュブナイル』の頃がじつは最も無邪気に「意外といい映画だよ」という評言が飛び交っていたように思える。その後の作品のうち、『ALWAYS 三丁目の夕日』3部作(2005~12)、そして『永遠の0』(2013)で、山崎貴の運命は大きく変わった。何がどう変わったのか?

 日本でもうひとり、VFX分野で著名な監督というと、樋口真嗣がいる。怪獣映画、パニック映画、時代劇アクション……いろいろなジャンルに手を染めつつも、樋口映画の根幹はオーソドックスなエンターテインメントだ。山崎はそれとはちがう。上質なVFXを活用しながら山崎が煽り立てるのは、「美しき日本の私」だ。『ALWAYS』3部作では昭和庶民の素朴な美しさ。『永遠の0』では海の藻屑となった特攻隊員の無念と美しい散り際。『永遠の0』に続き、またしても百田尚樹原作の映画化を指名された『海賊とよばれた男』(2016)では商人の昔気質な心意気。『DESTINY 鎌倉ものがたり』(2017)では鎌倉というノスタルジックな中世都市の怪談だ。さまざまなバリエーションを変奏しつつ、日本人の美しさ、潔癖さ、なつかしい心根、そうしたものが観客に温かく共有され、私たち観客の「うぬ惚れ装置」として機能してきたのではなかったか。

 大ヒットスタートを切った最新作『アルキメデスの大戦』も、奇妙な感覚を呼び起こす映画である点は、これまで通りだ。第二次世界大戦がはじまる前の東京を舞台に、戦艦大和を造るべきかどうか、海軍省内のみんながワァワァ議論している。1930年代海軍省の最大のテーマだった大艦巨砲主義vs航空主兵論の対立を背景に、虚実をまぶした巧みなミステリーに仕上がったと思う。菅田将暉が演じる天才数学者・櫂直(かい・ただし)を中心とする陣営の言い分はこうだ。「巨大戦艦を建造すれば、その力を過信した日本人は必ずアメリカ、イギリスとの無謀な戦争に打って出てしまう」。そんな主張からすると、彼らは反戦主義者に思える。この一派(航空主兵論)のリーダーである山本五十六少将(舘ひろし)にしても、のちの真珠湾攻撃の元となる、航空機による奇襲作戦で機先を制し、早期講和に持ちこむという、とっておきのプランを上司に披露する前に、「むろん戦争を避けられれば、それに越したことはないのですが」などと言い添えることを忘れない。映画全体にわたって「これは反戦映画です」とエクスキューズしているように思え、それは、記録的ヒットを飛ばしつつも賛否両論の果てに「厭戦気分の衣を着ただけの日本帝国讃美映画」という悪評に悩まされた『永遠の0』の二の轍を踏むまいというエクスキューズにすら思える。

※次ページより一部結末に触れます。

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