『MIU404』久住のセリフに込められた野木亜紀子の作家性 “自分の人生”を歩むために

久住の台詞に込められた野木亜紀子の作家性

 久住の話に戻ろう。久住は、自らが、ゴミの名前を語っているということは、自らがゴミのような空白の生き方をしていると自覚しているということとも捉えられる。もしかしたら、久住自身が「誰の人生を生きてきたんだろうね」と思っている人物なのかもしれない。

 そう考えると、久住の言う、「俺はお前らの物語にならない」という言葉は、俺の過去は犯罪をする理由にはならないという意味があると同時に、なんらかの出来事がスイッチとなり、自らの物語を捨てて生きてきたということでもあり、そこに対する強がりという、ふたつか、もしかしたらそれ以上の揺れる意味を持っているのではないかとも思えてしまうのだ。

 こうした考えに私が至るのは、数々の野木亜紀子作品から感じることでもあるが、ほかにも理由がある。

 それは、NHKで放送されたドラマ『サギデカ』(脚本:安達奈緒子)を観たことである。劇中、特殊詐欺の「かけ子」をしていた若者が、自分が捕まらないために、名前や出自に関する一切の経歴をなくして生きてきたのだが、彼の名前と生い立ちをひとりの刑事が探し起こしててきたことで、彼は捕まってはしまう。しかし、その空洞だった人生や自分の顔を取り戻すのだ。

 犯罪に関わる人間が、自身の絶望やつらい生い立ちを理由にしてはいけないが、そのことによって、人生を空洞=ゴミのように扱って生きることは、本人にとっても決して幸福なことではない。

 久住は逮捕後、自分の過去の人生について伊吹や志摩に聞かれた際「俺は、お前たちの物語にはならない」と語るが、そのときに、なぜか自分の手で顔を覆っていた。顔をなくして、誰の人生かわからない人生を生きることは誰にとてもつらいことのはずだ。

 志摩は久住に「生きて、俺たちとここで苦しめ」と言った。久住はこの世で「俺たち」と共に罪をつぐなうことで、自分の空洞を少しずつ満たし、本当の名前や顔、つまり自分の生を取り戻す、そんな未来もあるのではないだろうか。

■西森路代
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

■作品情報
金曜ドラマ『MIU404』
Paraviにて全話配信中
12月25日(金)Blu-ray&DVD-BOX発売
出演:綾野剛、星野源、岡田健史、橋本じゅん、渡邊圭祐、金井勇太、生瀬勝久、麻生久美子
脚本:野木亜紀子
演出:塚原あゆ子、竹村謙太郎、加藤尚樹
プロデュース:新井順子
音楽:得田真裕
製作:TBSスパークル、TBS
(c)TBS
公式サイト:https://www.tbs.co.jp/MIU404_TBS/

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる