『MIU404』久住のセリフに込められた野木亜紀子の作家性 “自分の人生”を歩むために

『MIU404』久住のセリフに込められた野木亜紀子の作家性 “自分の人生”を歩むために

 最終回の放送が終わって1週間経っても、話題になり続けている『MIU404』(TBS系)。多様な登場人物の中でも、謎がまだまだ多いだけに、菅田将暉の演じた久住のことが、いまだに気になってしまう。

 久住は、捕まった後に、伊吹(綾野剛)や志摩(星野源)から本当の名前やどこで育ったかについて聞かれ、「俺はお前たちの物語にはならない」と返した。この言葉から、いろいろな背景(物語)を、より考えてしまうという、久住の言ったことと逆の状態になってしまっている。

 そもそも、この言葉は、『MIU404』と同じく野木亜紀子が手掛けた『アンナチュラル』(TBS系)の終盤、連続殺人の犯人の高瀬(尾上寛之)が、母親との関係性から犯罪を犯したと決めつける検事に対して「テンプレですね、何もわかっちゃいない」と返すところを思い出す。

 ミコト(石原さとみ)が信じるのは事実のみで、「犯人の気持ちなんてわかりはしないし、あなたのことを理解する必要なんてない。不幸な生い立ちなんて興味がないし、動機だってどうだっていい」と語る。高瀬が自分の罪を認めるのは、主人公のミコトが「あなたは自分自身を救えなかった。あなたの孤独に心から同情します」という言葉に反応してのことだった。

 ミコトがそう強く言うには理由がある。ミコト自身が過去に、母親によって無理心中に巻き込まれたことがある(ミコトはそれを「正しくはマーダースーサイド。殺人とそれに伴う犯人の自殺。単なる身勝手な人殺しです」と語る)。しかし、そんな絶望に満ちた過去があるからと言って、その過去に負け、誰かを恨む人生は、自分にとって負けであると思って生きているのである。

 ミコトの同僚の中堂(井浦新)もまた、過去に愛する人を高瀬に殺されており、中堂の絶望にミコトがシンパシーを感じる部分があるのも事実であるが、その絶望を犯人に向けようとすることは間違いであると考えている。

 野木亜紀子の作品には、自分の過去の絶望を犯罪のための動機、もっと言えば言い訳にしてはいけないということが貫かれているように思う。だとすれば、久住も、犯罪者でありながら、物語=過去の絶望は自分の絶望は犯罪には関係ないと考えている人物であるとわかる。

 高瀬はミコトの「同情」に激高して罪を告白した。しかし、久住の場合はどうだろうか。久住は、船上で志摩から自分の負った頭の傷を心配され、おでこに手をあてられる。久住は志摩に見つめられ動揺しながらも、まっすぐと志摩を見つめ返すその瞳が、何を意味するのか、いつまでも考えてしまう。

 そもそも久住というのは、とことん空洞であり、ゴミであるということを連想させるキャラクターである。彼の久住という名前は、「“クズ”を“見捨てる”の“久住”や……」と本人も語っている。しかし、彼はその外にも五味、トラッシュ、バスラー、スレイキー……という名前も使っており、そのどれもがゴミを意味している。

 実は野木亜紀子作品にゴミというモチーフがよく出てくる。思い出すのは、『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)の「七、病苦」のことである。この回で門脇麦演じる神野あかりは、なにもかもが面倒くさくなり、家がごみ屋敷となってしまっていた。彼女を心配する地元の友達の依頼でコタキ兄弟(古舘寛治、滝藤賢一)がそこに向かい、部屋に散乱していたゴミを袋につめることになる。

 ここで私が感じたのは、人がゴミとともに生きる期間は、人生の空白であるということであった。人生の空白とは、自分の人生を生きることができていないということであり、それは、ほかの作品でも通底したテーマでもあるように思う。

 例えば野木作品の『獣になれない私たち』(日本テレビ系)では、主人公の晶(新垣結衣)とその恋人である京谷(田中圭)を挟んで恋敵でもある朱里(黒木華)が、お互いの過去について話したあとに、晶がしみじみと「私たち、誰の人生を生きてきたんだろうね」というシーンもある。

 朱里は、元恋人の京谷と別れた後、家や仕事を探そうとするもうまくいかず、そのまま京谷の家に住み着いてしまい、家の外にほとんど出ずに、時間が止まってしまっている人物であり、彼女も、人生の空白期間から抜け出せなくなってしまった人である。

 しかし、晶のように、仕事を持ち、恋人やそのほかに交流する人がいるにもかかわらず、「私たち、誰の人生を生きてきたんだろうね」とつぶやいてしまうということは、どんなに社会とかかわっていようと、自分の人生を歩めないこともあるということとも読み取れる。

 『MIU404』の第7話では、犯罪を犯し、指名手配犯となった男が、時効を迎えるためにトランクルームに10年もの間、身を隠していたというエピソードが登場する。犯人の所有物の週刊誌の表紙の女性の顔は、ペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶされていて、その10年の腐った感覚が見て取れた。

 この指名手配犯の相棒は、こんな場所で「自由なんてない」「あのとき自首してたら、8年くらいで出られた。今頃とっくに罪をつぐなって堂々と生きられた。普通に生活ができたんだよ。俺たちはもう死んでるのと同じだ」と語りかけると、犯人は激高したのだ。

 伊吹と志摩は、その現場で犯人の10年に思いを馳せる。特に伊吹は、自分が交番に飛ばされて機捜に呼ばれるまでの10年について、「10年間誰かを恨んだり、腐ったりしないで、ほんっとうによかった。俺はラッキーだったなー」とつぶやき「(犯人の不幸は)10年間、ここから一歩も動かず、誰にもみつからなかったことだ」と続ける。ここでも、人生を空洞にしないで生きてほしいという願いを感じるのだ。特に、何かの不幸な出来事をその空洞へのスイッチにしないでほしいということも見える。

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