『MIU404』視聴者を虜にする第4機捜の“危うさ” 不吉に重なる成川と九重

『MIU404』第4機捜員たちの“危うさ”

 『MIU404』(TBS系)第6話。副題「リフレイン」。今までのあらゆることがリフレインした回だった。第1話で伊吹(綾野剛)に対して「自分のことを正義だと思っているやつが一番嫌い」と言った志摩(星野源)の頭の中には「大きな正義を前にそんな些末なことを」と言っていた元相棒・香坂(村上虹郎)がいて、共通する危うさを感じ取っていたのだろう。

 肩を落として手紙を書いている香坂や、屋上でウイスキーを注ぐ香坂に声をかけ、手を差し伸べた志摩のシークエンスは、彼の「そうありたかった」という後悔が生んだ、事実とは違う、彼の頭の中で修正された真実だった。それは、ノイズによって邪魔され、ふいにかき消されてしまう。本当の志摩は、どちらの行動もとれなかったために、彼の死に責任を感じ、その罪を背負い続けて生きている。これは、第2話の犯人・加々見(松下洸平)が「俺はやっていない」と思いたかったためにそう思い込もうとしたのと同じだ。第2話で志摩が加々見に言ったように「人は信じたいものを信じ」見たいものしか見ようとしない生き物なのだ。

 このドラマにおいて、志摩や伊吹たちが放った言葉は、全て志摩自身が言うところの「ブーメラン」になって、彼ら自身に返ってくる。犯人だろうが刑事だろうが関係ない。「人は誰でも何かのスイッチで進む道を間違える。誰と出会うか、出会わないか。この人の行く先を変えるスイッチが何か」。第3話で志摩がそう言ったように、彼ら自身がそのスイッチになることもあれば、何かのきっかけで道を間違える側の人になることもあり得る。そういった、犯人や被害者と同じ側に立てる「共感力」とも言える能力を持つ彼らのキャラクターは、特筆すべき魅力であると同時に、危うさも内包する。今回は、第5・6話を振り返りつつ、その“危うさ”に焦点を当てたい。

 「人は信じたいものを信じる」という台詞がリフレインする回が第5話「夢の島」である。外国人留学生の過重労働問題を巡って、登場人物たちの罪の意識が、個人と全体の間で大きくせめぎあう。そして、伊吹と志摩、2人の心の闇が、静かに見え隠れする回だった。

 「ジャパニーズドリーム」を胸に抱いて借金までして日本に来た留学生・マイ(フォンチー)は、低賃金労働のため、トリプルワークする日々を送っている。彼女のような外国人労働者は日本にたくさんいる。

 その現状を知りつつどうにもできない自分に憤り、元技能実習生たちによる同時多発コンビニ強盗事件を企てた犯人・水森(渡辺大知)。彼は技能実習生を受け入れて管理する管理団体の職員として「ただそこにいて働いているだけ」だったのに、マイのように不当な扱いを受ける人々を虐げる側にいた。その事に気づいたために見えてしまった「ずれた世界」を誤魔化すために伊達メガネをかけて、それでも誤魔化しきれずに、事件を起こすに至ったのだった。

 伊吹と志摩は、2つの点で水森と共通点がある。志摩もまた、何かに気づいてしまったから、自分のことを信じられなくなった。この志摩の真相は、第6話で語られた通りなのだろう。

 だが、志摩だけでなく、伊吹もまた、「伊達メガネをかけている」という点で水森と共通しているのだ。「カッコイイから」と本人は屈託なく笑う。でも、志摩を待つ車の窓から、伊達メガネであるところのサングラスをかざして、太陽が輝く空を眺めている伊吹のあのショットはなんだろう。また、そこに繋がるように、木漏れ日を見て、無邪気に喜ぶマイと、隣で複雑な表情をしながら見つめている、まだ伊達メガネをかけていない水森のつかの間寄り添えた時間を示したショット。三者三様、彼らが見つめる世界は、きっとそれぞれに違う。

 蒲郡(小日向文世)のおかげで「真っ直ぐ走れるように」なった伊吹にも、第1話の時に志摩と視聴者が感じずにはいられなかった危うさがどこかに潜んでいる。人懐っこい犬のようなテンションと、志摩の心をも溶かす優しさと、裏表のないド直球さのその裏に。

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