豊臣秀吉が主役の大河ドラマは少ない? 竹中直人『秀吉』で晩年を描かなかった理由
放送休止となったNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の穴埋めとして放送されている『「麒麟がくる」までお待ちください、戦国大河ドラマ名場面特集』だが、7月12日に放送されるのは1996年に放送された『秀吉』だ。
堺屋太一の歴史小説『秀吉 夢を超えた男』、『豊臣秀長』、『鬼と人と 信長と光秀』の3作を原作とする本作は、農民の出から戦国武将になり、最後には天下統一を果たした豊臣秀吉の半生を描いた物語だ。
秀吉を演じたのは竹中直人。シリアスからコメディまで何でもこなし主演も脇役も演じる良い意味で仕事を選ばない俳優だ。映画監督としても知られる竹中は、腹の底を見せない複雑な内面を抱えた俳優だが、秀吉というキャラクターを1年かけて演じきった本作には、俳優としての竹中の魅力がもっとも現れているのではないかと思う。
本作を観て、最初にインパクトが残るのは、ふんどし一丁で走り回る日焼けした秀吉の姿だろう。汚い身なりの秀吉は「サル」と呼ばれ、下品で野蛮な振る舞いゆえに周囲から小馬鹿にされるのだが、秀吉の滑稽な姿に周囲が油断していると、周囲を大胆に出し抜いて、みるみる出世していく物語の主軸となるのは、武士として自分を引き上げてくれた「神にも等しい存在」である織田信長(渡哲也)の評価をめぐる、明智光秀(村上弘明)との出世争いだ。
『麒麟がくる』では、まだ登場したばかりの秀吉だが、本作では第1話で秀吉と光秀は出会っており、出世争いをする一方で、信長と衝突して追い込まれる光秀を庇って時に助けようとする。光秀はライバルであると同時に親友とも言える存在で、信長を頂点とした秀吉と光秀の三角関係が『秀吉』という物語の主軸にある。
もう一つの軸となるのは秀吉を取り囲む女たちとの物語だ。中でも鮮烈な印象を残すのは市原悦子が演じる秀吉の母・なか。沢口靖子が演じる正室のおねや、松たか子が演じる側室の淀が、高貴で華やかな存在感とは真逆の、市原が演じるなかの泥臭さは“もうひとりの秀吉”と言っても過言ではない存在感を見せている。秀吉を「日輪の子」だと信じ「かあちゃんがおみゃーの代わりに地獄に行ってやるで」と言う母の愛は、実に強烈。
信長や光秀も妻や母との関係が秀吉と対比される形で描かれており、女たちの物語としても『秀吉』は必見である。