有村架純が有村架純を演じる!? 豪華クリエイターたちが描き出す前代未聞のドラマ

有村架純が有村架純を演じる前代未聞のドラマ

 製作決定の第一報がもたらされるや、多くの人々の注目を集めたWOWOWオリジナルドラマ『有村架純の撮休』。その放送が、3月20日(金・祝)の深夜0時から、いよいよ始まろうとしている。人々の関心を集めた理由は言うまでもない。このドラマで有村架純が演じるのは、なんと“有村架純”だというのだから。そう、本作はそのタイトルのごとく、“有村架純の休日”を描いたドラマなのだ。しかも、全8話が予定されている本作の監督を務めるのは、WOWOW初参加となる是枝裕和をはじめ、山岸聖太、今泉力哉、横浜聡子、津野愛という、映画やドラマ、MVなどで活躍する5人の監督たちであるという。2016年のNHK紅白歌合戦の紅組司会を務め、2017年の4月からはNHK連続テレビ小説『ひよっこ』に主演し好評を博し、その年の終わりには再び紅白の司会を務めるなど、いわゆる“国民的女優”として、年齢性別問わず多くの人々にとって馴染み深い存在となった有村架純。今年で女優デビュー10周年を迎え、役者として多忙な日々を送る彼女は、ドラマや映画の撮影期間に突然訪れた休日……いわゆる“撮休”の1日を、どのように過ごしているのだろうか? それを、豪華クリエイターたちが描き出す前代未聞のドラマ、それがこの『有村架純の撮休』なのだ。

 ひとりの役者を主役に据えて、複数名の脚本家と監督が、各話異なる物語を生み出す“競作”形式のドラマと言えば、かつて『週刊真木よう子』(テレビ東京系/2008年)という作品があった。けれども、今回のドラマで有村架純が演じるのは、あくまでも“有村架純”なのだから、それとは少々事情が変わってくる。とはいえ本作は、彼女のプライベートに迫るドキュメンタリーではなく……その意味では、遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、松重豊、光石研らが、それぞれ本人役を演じながら、彼らが共同生活を営んでいるという架空の設定で描き出された『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』(テレビ東京系/2017年)に近いのだろうか。否、必ずしもそうではないようだ。是枝裕和監督による第1話「ただいまの後に」で母親役を演じる風吹ジュン、今泉力哉監督による第2話「女ともだち」で親友役を演じる伊藤沙莉など、“有村架純”以外の出演者は、特に本人役を演じているわけではなく、それぞれ“母親”役、“親友”役を演じているという。つまり本作は、“虚像”と”実像”が入り混じった、いわゆる“フェイクドキュメンタリー”のような類のものでもなく……あくまでも、有村架純が有村架純を演じる“フィクション”のドラマとして観るのが、どうやら正しいようだ。

 豪華なのは監督だけではない。このドラマの各話の脚本を担当するのは、今泉力哉、砂田麻美(『エンディングノート』)、篠原誠(WOWOW「WOWOWに入りましょう」CM)、ぺヤンヌマキ(演劇ユニット「ブス会*」主宰)、ふじきみつ彦(『バイプレイヤーズ』)、三浦直之(劇団「ロロ」主宰」)など、幅広い分野で活躍する8人の精鋭脚本家たちであるという。有村架純のプライベートなど知る由もない彼ら/彼女たちが、それぞれの“妄想”で描き出す“有村架純の休日”。ちなみに、ここで言う“妄想”には、ふたつの要素があるように思われる。ひとつは、「普段は、こういう感じなのではないか?」というイメージに基づいた“推測”。そしてもうひとつは、「普段は、こういう感じであってほしい」という個人的な“願望”だ。そのふたつが入り混じりながら、あるいはせめぎ合いながら描き出される“有村架純の休日”とは、果たしてどんなものになるのだろうか。そして、そんな“妄想”によって描き出される“有村架純”を、有村架純本人は、どんな気分で演じるのだろうか。「自分であって自分ではない自分を演じること」の難しさを述べつつも、有村架純本人は、本作に寄せたコメントの最後をこんなふうに締め括っていた。「『どれが本当の私なんだろう』と想像をしながら、見ていただきたいです。有村架純が豪華な監督、脚本家、キャスト、スタッフたちと一緒に『何か面白いことやったんだな』、『楽しんでやったんだな』と温かい目で見守っていただければ嬉しいです」と。なるほど、この度量というか、それらの“妄想“”を自らも楽しんでいるようなところが、このような異例の企画を実現させた、彼女の女優としての懐の広さであり、何よりの魅力なのだろう。

 さて、そこでふと思い起こされたのは、“らしさ”をめぐる問題だ。先日、あるテレビ番組で、ある女優がこんな質問を受けていた。「演じるときに、素の自分を何割ぐらい残して演じていますか?」。なるほど、鋭い質問だ。それに対して、その女優は、こんなふうに答えていた。「理想としては、自分はいらない……むしろ、消したいと思っています。だけど、演じていると、いろいろ雑念が入ってきて……それを狙っている監督さんもいらっしゃいます。役者自身の人間性が漏れた瞬間を見たいと」。これはあくまでも、その女優の意見だけれど、確かにそういうものなのかもしれない。というか、“素の自分”……すなわち、“その人らしさ”を決めるのは、果たして誰なのか。とりわけ、役者という職業の場合、それを決めるのは本人ではなくむしろ監督であり、我々観る側なのではないだろうか。本来、そのプライベートなど知るはずのない“誰か”に対して、「ああ、この役柄は、彼/彼女らしいな」と思わず感じてしまうこと。それが、本人の実像と近かろうが遠かろうが関係ない。観る人たちに自然とそう思わせてしまうことが、役者の本懐であり、演出の妙味なのだ。

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