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力強さのベースにある“女の子”の感性とテーマ 山戸結希監督の才能の謎に迫る

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「映画の神に愛されている…!」

 多数のCMやミュージックビデオを撮り、また自身のような女性若手監督たちを集めた短編オムニバス映画『21世紀の女の子』(2019年公開予定)の監督兼プロデュース、さらには新作『ホットギミック』(2019年公開予定)など、現在最も注目され多忙な山戸結希監督。彼女の映像作品を初めて目にしたとき自然に浮かんだのが、このフレーズだった。

『溺れるナイフ』(c)ジョージ朝倉/講談社 (c)2016「溺れるナイフ」製作委員会

 『おとぎ話みたい』(2013年)で見せた、音楽とダンスとナレーションの融合による凄まじい高揚、『溺れるナイフ』(2016年)の鮮烈な映像の連続には、20代の映画監督としては、世界的なレベルで見ても「規格外」といえる力がこもっていると感じられる。その圧倒的な才能から、同じく20代で才能を開花させ、実験映画の傑作を撮りあげたマヤ・デレン監督をすら思い出させた。

 どんなにつまらない映画作品にも、偶然に素晴らしいショットがひとつやふたつ撮れていることがあるが、山戸監督作品からは、目が覚めるように“きらめく”カットが次々あふれるように現れる。いったい、それはどのような仕組みによるものなのか。ここでは、そんな彼女の才能の謎について考察してみたい。

 「イマジナリーライン」という映画用語がある。これは、画面の中に置かれた被写体同士をつなぐ「線」があると仮定する考え方だ。カットが切り替わるときに、カメラ位置がその線を越えてしまうと、向きが逆転してしまうので、観客を混乱させてしまうという。劇映画を撮影するときの基本のテクニックだといわれる。

 『溺れるナイフ』でギョッとしたのは、例えば主人公やクラスメートたちが教室で会話しているシーンだ。セリフを発するごとに、彼女たちのアップが次々に写されるが、イマジナリーラインを越えてカットをどんどんつながれていく。これによって、目を合わせている者同士が同じ方を向くため状況がつかみにくく、一見すると不要な分かりにくさを呼び込んでいるように感じられる。

 状況説明などに優先順位を置かない、このような“文法破り”の手法は、より感覚的な映像体験を呼び覚まそうとするミュージックビデオに近いと、とりあえずいえると思う。しかし彼女の映画がそれだけで理解できないのは、長回しなど従来「映画的」といわれる撮影をも前後に組み合わせているからだ。

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