「コロコロ」掲載終了でもドラえもんの未来は明るい? 『本読め』の稲田豊史が語る

ドラえもんの「月刊コロコロコミック」での掲載が終了したというニュースが話題になった。4月15日に発売された「コロコロコミック」5月号の掲載回末尾に、「「藤子・F・不二雄名作劇場ドラえもん」は今月号で最終回となります」と告知されていたのである。じつに49年間にもわたる同誌への掲載が幕を閉じることになる。
いくつもの世代にわたって子どもたちを魅了してきたドラえもん。世代によってはテレビアニメや映画版をつうじて親しんだというひとも多いはずだが、もとはもちろん藤子・F・不二雄による名作漫画である。漫画誌でのドラえもん掲載終了が意味するものとはなんなのか。
ドラえもんの魅力をさまざまな角度から論じた『ドラがたり――のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)の著者で、新刊の『本を読めなくなった人たち』(中公新書ラクレ)も話題沸騰中のノンフィクションライター・稲田豊史氏に話を聞いた。
まず、今回のニュースについてはどう思ったのだろうか。
「率直に言うと、まだ再掲載をやってたんだと思いました。作者が亡くなって今年で30年になるのにここまで続いていたということのほうがすごい。
そもそも子ども向けの人気IPは続々と出てきているので、たとえばテレビ版のドラえもんですら昔ほどは多く見られているわけではありません。いまのアニメ視聴の主流は、“配信プラットフォームで連続視聴”です。なので、“毎週決まった時間に一話完結の内容が流れるのをなんとなく見る”というテレビ視聴向けの形式はどうしても弱くなってしまう。くわえて、最近は漫画もかつてほど子どもたちに読まれなくなっているという話がありますよね。だからいくつもの意味で、「コロコロコミック」はこの枠をここまでよく守り通したなと。
今回の終わり方にはひとつの美学を感じました。最終掲載作は「時門で長~~い一日」(てんとう虫コミックス31巻)でしたが、言ってしまえばとくに終結感のない通常回です。その最後にさらっと「今月号で最終回となります。長い間応援いただき誠にありがとうございました」と書いてあって終わり。これは粋だなと。藤子・F・不二雄先生は落語が好きだったのですが、落ちをビシッと言ったら「おあとがよろしいようで」と頭を下げてベタベタせずに帰っていくあの感じに近いというか、わざわざ意味を持たせてドヤ顔をしないのがかっこいい。
とはいえ、やはり寂しさはあります。ドラえもんは「コロコロコミック」にとって特別な存在ですからね」
「コロコロコミック」にとって特別な存在、とはどういうことだろうか。
「そもそも「コロコロコミック」自体が、ドラえもんを読むための雑誌としてスタートしたものなんです。ドラえもんはもともと「小学1年生」や「小学4年生」のような学習雑誌にそれぞれにあわせた別々のものが掲載されていたのですが、それらをまたいですべてのドラえもんがまとめて読める雑誌という売りで77年に創刊された。逆に言えば、「コロコロコミック」は50年近くそのアイデンティティを保持しつづけて、このタイミングでようやくそれを捨てたということですね。
ぼくたち団塊ジュニア世代(71~74年生まれ)やすこし下のポスト団塊ジュニア世代にとってのドラえもんは、やはりなんといっても漫画のドラえもんでした。80年代のドラえもん全盛期に子ども時代を過ごしたこの世代には、のび太のぐうたらした性格を見て「こういう風に生きてもいいんだ」という価値観を持った「のび太系男子」が量産されたのではないかと思っています。その姿勢は、90年代に成長した若者として『新世紀エヴァンゲリオン』を見て、頼りない主人公のシンジ君に自らを重ねるという態度にもつながっていくわけです。
もちろんぼくらより若い世代にとっても、世代ごとにドラえもん観があると思います。簡単なところで言えば、アニメ版でも大山のぶ代さんバージョンのドラえもんに親しんだか水田わさびさんバージョンに親しんだかで、だいぶドラえもん観は変わってくるでしょうしね」
それぞれの世代の子どもたちに、さまざまな楽しみと教えを与えてきたドラえもん――。しかし、「コロコロ」の再掲載終了によって、そんなドラえもんの歴史も終わりに向かっていくのだろうか。
「そんなことはないと思います。ぼくは毎年春休みに公開される劇場版のドラえもんをずっと見ているのですが、映画館ではやはり子どもたちの姿も多く見られます。それに、作品も良いものが多い。
近年の劇場版は、過去に映画化された「大長編」(「コロコロコミック」に掲載された藤子・F・不二雄の筆による原作)のリメイクものとそうではないオリジナルものに分かれます。とくに大長編の最初の7本は名作として名高く、『ドラがたり』では「神7」と名付けました。今年公開の『新・のび太の海底鬼岩城』も、神7のうちのひとつ『のび太の海底鬼岩城』(1983年に一度映画化)のリメイクです。神7はとにかく原作がよいので、ある意味でどうつくっても失敗はしない「安牌」とも言えます。じつは今年で神7のリメイクは一周したので、「コロコロコミック」での再掲載終了とも重なって、ドラえもんの歴史に何周目かのピリオドが打たれた年とも言えるかもしれません。
でも、最近はオリジナルものも野心的な作品が多いんです。たとえば、22年公開の『のび太と空の理想郷』は、実写映画界の売れっ子脚本家である古沢良太が書いたダークな世界観のディストピアものでした。「ドラえもんでこれをやるのか」と賛否両論ありましたが、ぼくは外から新たな才能を呼び込むという姿勢も含めて良い試みだと思いました。23年の『のび太の地球交響曲』では音がポイントになっていて、たとえばのび太たちがステップを登るごとに音が鳴るといったように、アニメーションの表現と音楽がうまく結びつけながら演出されていました。つまり、漫画ではなくアニメでやる必然性がある作品になっていた。24年の『のび太の絵世界物語』はひみつ道具で絵本の世界に入っていく話なのですが、これも背景が絵画のタッチになっていたり、「世界の色が消滅する」といった演出がふんだんに盛り込まれていたりして、漫画だと表現できないものになっていました。
こういった姿勢は、藤子・F・不二雄イズムを正しく継承していて素晴らしいと思います。過去の焼き直しや縮小再生産ではなく、苦しみながらでも新しいことにチャレンジしつづける。しかも、そのチャレンジのなかで毎年だいたい30~40億円代の興行収入をキープしつづけている。毎年100億円を超えるようになってきた劇場版『名探偵コナン』のようなおばけコンテンツではないかもしれないですが、劇場版ドラえもんの達成もすごいことです。そして、来年以降どのような作品が生み出されていくのかも、いまからとても楽しみです」
何周目かのピリオドを打ったあと、ドラえもんはどのような未来を突き進むのか。これからも楽しみは尽きない。

























