宮田珠己 小説で挑んだ「高校女子陸上の世界」感動青春物語『そして少女は加速する』挫折への温かな眼差し
30年にわたりエッセイを綴ってきた宮田珠己氏は、「エッセイだけでなく、いずれは小説を書きたいと思っていた」と語る。そんな彼が挑んだのは、高校女子陸上部の“4継”こと4×100mリレーを描く青春小説『そして少女は加速する』(幻冬舎)だ。
“4継”は約50秒で終わる一瞬のレースだ。しかし選手たちがスターティングラインに立つまでには想像し得ないほどのドラマと、だからこそ生まれる感動があることを、この小説は教えてくれる。
まだ未完成で多感な高校生の等身大の心情と、リレーにかける懸命な想いがみずみずしく交差する本作は、どう生まれたのだろうか。
その創作秘話を聞くべく作者の宮田氏にインタビュー。かつて陸上、そして4継を経験した宮田ならではの視点で紡ぎ出された企画の原点から、5人の少女に託した自身の記憶、そして“バトンミス”を軸にした物語の裏側まで、存分に語ってもらった。
■小説は“エッセイの先にあるもの” そのきっかけとなった陸上

――今回は宮田さんがこれまで書いてきたくすっと笑えるようなエッセイではなく、陸上選手を描いた青春スポーツ小説なのに驚きました。なぜ得意分野のエッセイではなく、小説という形式を選ばれたのでしょうか。
宮田:30年くらいエッセイを書いてきましたが、いずれは小説を書こうと思っていました。なので、今回急に小説を選んだというより、いい加減に書かなきゃな、と重かった腰を上げた感じでしょうか。
――選手の一人一人が生き生きとしていて、その場で見ているような臨場感を覚える小説でした。陸上をテーマにしたのは、やはり宮田さんご自身の陸上経験があったからでしょうか?
宮田:自分自身が陸上を長くやっていたこともあって、世界陸上やオリンピックの陸上競技を見るのが好きだったんです。中でもリレーは自分も経験があるし、見ていて熱が入るわけですね。そうやって応援している時にふと「リレーの小説なら書けそうだな」と思ったんです。選手の気持ちもわかるし、競技の仕組みもわかる。だからほとんど迷わずに決めました。
――リレーというと日本代表では男子が強いイメージですが、主役を女子高生にしたのはなぜですか。
宮田:リレーを題材にした有名な小説といえば、佐藤多佳子さんの『一瞬の風になれ』(講談社)や、天沢夏月さんの『ヨンケイ!!』(ポプラ社)があるのですが、どちらも男子の選手を描いている。それなら僕は女子のリレーを描こうと考えました。高校生にしたのは、女子の場合、大学前に引退してしまう選手が多いことや、逆に中学生だと、悩みや葛藤を本人が言葉にするのは難しいんじゃないかと思ったのが理由です。できれば一人称で語らせたかったので、ちょうど多感な時期の高校生なら、心理的なことも描きやすいだろうと決めました。
――全国常連の強豪校や世界の舞台で戦う選手を描くという選択肢もあったかと思います。そうではなく、インターハイを目指す普通の高校生を選んだ背景について教えてください。
宮田:多くの人に共感してもらえる作品にしたいと思ったからです。インターハイは高校で陸上をやっているなら、誰もが目指す目標です。強豪校や世界の舞台で戦うのは、ほんの一握りの選手だけですから。そういう天才を描くより、ふつうの高校生の不安や心の揺れを描きたかった。インターハイ予選などを見ていると、リレー競技では、ミスで負けることがよくあるんですね。もし高校時代に自分のミスでチームが負ける経験をしたら、死にたいくらいショックなんじゃないかと。選手のそんな気持ちがわかるので、小説で勇気づけられたら、という思いもありました。
5人の主人公に宿る“宮田珠己の記憶”

――咲、イブリン、風香、百々羽、あかねというメインの登場人物である5人、それぞれの心の迷いや揺らぎにリアルさを感じました。彼女たちには宮田さんの陸上の経験や性格が投影されているのでしょうか?
宮田:そうですね。咲は、親から陸上よりも大学受験に力を割けと言われます。僕も高校時代は勉強しろとやかましく言われていたので、その当時の心の苦しさを反映しました。イブリンは、バトンミスをして悩む。これは僕の経験というより、自分のせいでチームが負けたという悩みを抱える普遍的な登場人物として設定しました。この小説ではイブリンを一番の主人公として描いています。
高校で初めて陸上をやる風香は、高校から陸上を始めた僕と一緒ですね。僕は中学時代ハンドボール部の幽霊部員で、当然レギュラーにもなれなくて。このままじゃダメだという劣等感もあって陸上を始めたのですが、それは彼女の「自分には何もない」と感じてしまう苛立ちとして表現しています。
百々羽は、全国に行きたいけど、自分の力じゃいけない。リレーに紛れ込めば全国に行けるんじゃないかっていう、ちょっと他力本願なところがあります。これは僕にもあったと思います。大学時代にリレーで日本インカレに出場したんですが、僕以外に速い選手が揃ってたからわりといいところまでいけて。個人だと予選止まりでも、リレーなら全国でもやれるぞ、という実体験と重ねています。
あかねはスタミナがないところが同じ。僕は100mの選手だったのですが、200mや400mになると全然ダメで。「真剣に走ってないだろ」と当時はよく怒られてました(笑)。
――イブリン選手の引退前、ラストレースに向かい高まっていく緊張感や、そこからのカタルシスが痛快でした。レースを描く箇所など、物語の構成はどの段階で決まっていたのですか?
宮田:大枠は最初から決まっていました。この物語ではイブリンがバトンミスのトラウマを克服する姿を描きたかったので、まず、バトンミスをして一番きついのがいつかと考えると、1年生はまだ責任ある立場じゃないから2年生かなと。だから、イブリンが2年から3年生へと成長していく1年間を、レースを通じて描くことにしました。
とはいえストーリー作りには苦労しました。5人の物語がただ並行しているだけでは面白くないので、交錯するように書きたかったんで。この子をこう動かすとこっちの辻褄が合わなくなって……と。そのあたりの組み立ては試行錯誤しました。
■経験から生まれた、リアルな緊張や疾走感

――宮田さんは、中学時代はハンドボール部だったとのことですが、陸上への憧れや興味はあったのでしょうか?
宮田:当時はあまりなかったです。高校に入って、周りはどんどん部活を決めていくのに決まらない。そんな時に教室からボーッと放課後のグラウンドを見ていたんですね。そのとき、男女一緒に走っている陸上部が妙に気になって。男女が混合でやる部活ってあまりないですよね。走るのは得意だったし、高校から新しく始めるとすると、チーム競技は競技歴の長い選手にかなわない気がする。その点、陸上だと一人でやる競技だから自分に合いそうだと考えて入部を決めました。
――そして大学でも陸上を続けます。
宮田:高校で引退も考えていたんですが、10秒台で走れなかった未練があったんですね。10秒台を叶えてから終わりたいという気持ちがあったので続けました。陸上競技生活を通して、淡々と自分に向き合う力と自信は培うことができた気がします。スポーツは何でもそうだと思いますが。
――そんな選手としての経験がとくに色濃く生かされているのは、レースの描写だと感じます。選手経験者だからこそ描けるディテールに「なるほど、選手はこんな気持ちでレースに挑んでいるのか!」という気付きがありました。
宮田:走っているときの感覚や、スタート前に考えていることなど、競技中の心のあり方は自分の経験をもとに書いています。スタート直前って本当に怖いし緊張する。でも、スターティングブロックに足をかけたときに緊張していたらダメで、無じゃないといけない。
リレーも第1走者からアンカーまで一通り経験したので、どの選手の気持ちも本当によくわかる。バトンはもらう方が難しいんです。前の走者がマーカーを超えた瞬間、自分も走りだすんですが、選手の足が超えた瞬間を判断するのが難しかったのを覚えています。それでもひたすらに前を向いて、バトンが来ると信じて走るしかないんですね。
――50秒に満たない400メートルリレーの勝負の世界を描くのは難しいように思いますが、読んでいて、実際にレースを見ているような疾走感でした。
宮田:自分の経験そのままを描きました。陸上をやっていて調子がいい時は、ゴールが向こうから勝手にやってくる。気持ちよく走っていると、ゴールがピューっと通り過ぎていくような感覚になる。逆に調子が悪いと100mの10秒ちょっとが何分にも感じる。そんな経験をそのまま書くだけでよかったので、レースのシーンはスムーズに書けました。
■“強くなれなかった選手”の物語
――陸上とはなんて魅力的な競技なんだろう、と感じる瞬間が何度もありました。作品を通して深い愛情を感じたのですが、改めて、宮田さんにとって陸上とは?
宮田:言葉にするのは難しいのですが、自分に自信をつけてくれた何かだったと思います。もともと父親が野球が好きで、“珠己”という名前も「球」と「木」からつけられてるんですが、当時はそれがすごく嫌で、反発心から野球もスポーツも避けてました。でも、親のことなんてどうでもよくなってくると、ふつうにスポーツをやりたいなという気持ちになって、そこにたまたま陸上競技がはまったのかもしれません。
――最後まで読んでみて、主人公の選手たちだけではなく、ライバル校の物語も読んでみたくなりました。続編を書く予定はありますか?
宮田:高校から陸上をはじめた風香は、まだ彼女の中で何者にもなれていない感覚だと思います。そこをなんとかしてあげたいという気持ちはあります。スポーツをやっている人って、そういう思いを抱えている人の方が圧倒的に多いと思うんです。成果を出せていないふつうの選手がどう気持ちと折り合いをつけるか。そういう物語は機会があれば書いてみたいですね。
――陸上への思いが存分に詰まった作品です。宮田さんは読者にどんな気持ちを抱いてもらいたいですか?
走っている姿って、本当に感動するんです。僕なんか年々涙もろくなっていて、陸上を見ながら泣いている。この作品も、自分で読んで最後のレースのところで泣いてしまったりします(笑)。人間はそれぞれに課題があって、どうしても克服できなかったり、自分には何もないと感じたりと、悩みはつきないわけですが、そんななかでも、何かを見つけることはできると思います。そんなことをこの小説を読んで感じてもらえたらいいですし、何より陸上の魅力が伝わったらいいなと思っています。
























