藤岡みなみに聞く、「話すこと」と「書くこと」の意味「平凡な日常の特別さを愛でることは、日々重ねる静かな反戦の意志」

エッセイストでラジオパーソナリティーの藤岡みなみ氏が、10年以上にわたって続けてきたラジオ番組「おささらナイト」(STVラジオ)。その膨大なエピソードトークが、このたび『ぼちぼち』(nululu)として一冊に結実した。「読むラジオ」といえる本作には、日常のささやかな瞬間をおかしく、そして愛おしく切り取った雑談・約270本が収録されている。装画イラストと題字は『夏がとまらない』『大丈夫マン』の藤岡拓太郎氏が手がけ、作品世界とマッチした親しみやすい仕上がりに。今回、刊行を機に藤岡氏に「話すこと」と「書くこと」について話を聞いた。 (篠原諄也)
読むと頭に音声が流れるといいな
――本書『ぼちぼち』はどのような思いでまとめましたか。10年間のラジオトークを「書籍」という形にした経緯を教えてください。
藤岡:ひとつの番組が10年以上続くというのは稀なことで、この有難いめでたい気持ちをぜひ形にしたいと思った時に、それはやっぱり大好きな本というメディアでした。
私自身ほかに10年以上続けられたものはほとんどなく、書くことと話すことだけです。書くことと話すことはきっと私の両輪なので、ラジオを文章にするのは自然なことでした。
また、バリアフリーの観点においても本とラジオは補完関係にあると思います。なぜかよく「入院中に藤岡さんのラジオやポッドキャストを聴きました」と言っていただくんです。気張らなさが適温とのこと。音声メディアは、文字が読めない時でも寝転がりながらゆるっと楽しめるコンテンツですよね。逆に、ラジオが文字でも読めたらいいなといつも思っていたのですが、自動書き起こしではまだ精度が低すぎる。読みやすい形に整えたいとずっと考えていました。
「入院中に楽しめた」というのは、いただいてとても嬉しかった言葉だったので、今回の本のテーマにもなっています。本が大好きでも、疲れすぎると読書をする気になれないことがあります。1エピソード1分程度で読める、ハードルの低い、ただただ楽しい本を目指しました。横書きにしたのもそのためです。エッセイと話し言葉の中間のような文体になっているので、読むと頭に音声が流れるといいなと思います。
――「ぼちぼち」というタイトルにはどのような思いを込めましたか。
藤岡:いつのまにか「頑張りすぎず、ぼちぼちやっていきましょう」というのが合言葉になっていました。リスナーさんからのメールにもよく登場して、互いにねぎらいあっています。社会のなかで、常に過剰な頑張りを求められる空気を感じることがあります。私も本来ぼちぼちやるのが苦手な猪突猛進タイプ。限界まで走って倒れる友人も何人も見てきました。そうなる前にブレーキをかけられるように、私たちには「ぼちぼち精神」の修行が必要なのではないでしょうか。そんなふうに大切にしている言葉を、派手ではないけどちょっと愉快なエピソードを集めた本のタイトルにしたら、しっくりきました。
――「おささらナイト」はどのような番組でしょうか。どのようなエピソードトークをいつも話すように意識していますか。
藤岡:「親戚の子が隣に来て話しかけてくる感じ」と形容してもらったことがあります。半径1メートルの人生のおかしみを共有したくて、そんな出来事をメモしておいて話します。
――ラジオにはどんな魅力があると思いますか。文筆業とラジオトークには、どのような違いがありますか。
藤岡:ラジオでは直近に起こったことを話すことが多く、口からどんどん出てくる言葉たちはほぼ推敲ができません。だからこそ生まれる隙や今だけの勢いがあり、いい意味でも悪い意味でも無意識にパーソナリティが滲みます。反対に、書くときは事前に思いを発酵させることが多いです。出来事と距離があるからこそ書けたり、推敲するなかで思考が深まったりします。
――日常生活を送る上で、エピソードを話すために注意していることはありますか。どのような出来事を面白いと感じますか。
藤岡:とにかくなんでもメモします。普通に暮らしていたら気に留めなかった出来事にも、ラジオで毎週話すという習慣があるからこそ立ち止まれています。不思議なのですが、面白いことが起こるから喋れるのではなく、ラジオがあるから面白いことが増えていきます。ラジオのために変わったことをしようと思っているわけではないのですが。「この瞬間、いいな」のアンテナが立ちます。
友人に「鼻の下にまつ毛ついてるよ」と指摘されたけど、たぶんそれは出かける前に切った鼻毛だなぁってなった時や、子どもがウォーターサーバーの水で筆を洗おうとした時。情けなかったり怒ったりしながらも「ラジオで話さなきゃ……」って思います。
――誰しも友人などに日常の出来事を話す局面があると思います。エピソードトークをする時に、何かコツはあるでしょうか。
藤岡:次の7つを意識しています。
1:長くなりすぎないように、情報をちょっと整理する。
2:オチというほどではなくても、なんとなくのゴールは決めておく。
3:「”逆だろ”って思ったことがあって……」など、聞き手がゴールに辿り着きたくなる入り口をつくる。
4:だけど「面白いことがあって……」とかハードルを上げない。
5:オチが力強い場合はゴールの前に盛り上がりすぎない。
6:ゴールがオチではなくただの着地点の場合は、むしろ寄り道を盛り上げる。
7:……とか考えすぎてると味わいがなくなるので、ぼんやり半分決めるくらいで、残りの半分は自分でも何が飛び出すかわからないアドリブ感を楽しむ。
失敗をポジティブなものにしてくれたのもやはりラジオ
――散歩がお好きと書いていましたが、「私を散歩に連れてくか」という考え方が興味深かったです。散歩の魅力とはどのようなものでしょうか。
藤岡:少し話がそれますが、私のラジオ番組のタイトル「おささらナイト」は「おささらない」という北海道弁が由来です。例えば、「ボタンが押ささらない」と言う場合、自分のせいではないがボタンが押せない、という意味になります。「押せない」だけだと、ボタンが壊れているのか私がそうできないのか不明瞭なのですが、「〇〇さる/〇〇さらない」は、自分の責任を超えた部分に言及できるんです。
「〇〇さる/〇〇さらない」は、とても便利で素敵な言い回しです。「夜風が気持ちよくて歩かさる」「この本が面白くて読まさる」は、完全に自分の意思というわけではないのにそうしてしまった、という中動態の雰囲気。能動と受動の間ですね。國分功一郎さんの名著『中動態の世界』は番組でもよく話題にのぼります。
そんな世界観とも地続きなのが「自分を散歩させる」という感覚です。自分が知らない自分の宇宙もあるし、人生は人間がコントロールしようと思って全てそうできるほど単純なものでもない。「自分を散歩させる」は、「散歩に行く」ほどはっきりと能動的ではないんです。私が思うより不思議なはずの私という海に働きかけてみて、何が起こるか見てみるみたいな感じ。散歩している自分と散歩させられてる自分がいる。歩き慣れた道にも今日は見知らぬ「ご自由にお持ちください」が置いてあるかもしれない。半分決めて半分未知のアドリブが楽しいのは、トークも散歩も同じですね。
――間違いや失敗を否定せず、それを愛でて受け入れているように感じました。そのような価値観やスタンスはどのように生まれましたか。
藤岡:もともとかなりネガティブで、間違うことも失敗することも恐れまくっています。でも、失敗をポジティブなものにしてくれたのもやはりラジオです。うまくいったことを話してもそんなに面白くないんですよね。なぜか失敗が一番愉快。ラジオで話せると思えば、とほほな出来事もたいていラッキーになりました。間違いを愛でるスタンスはそこからどんどん育っていったように思います。
――10年の記録を振り返って、ご自身で何か感じたことはありますか。
藤岡:忘れんぼうの私の記録とは思えない、ある意味精密な一冊になりました。エピソードの9割は、ラジオをやっていなかったら一瞬で忘れてしまっていたものばかりです。撮ろうと思ってないのに撮れてしまった写真のよう。生活の情けない瞬間を共有したら、ネガティブもなんだか変換されて、最終的に暮らしへの愛だけが残りました。派手ではないけれど、こういうのをしみじみ味わうために生きているなと思います。人生で大事なことはこういうことでしょ?と言いたくもあります。間違っても、戦争をするために生まれてきたわけなんかじゃない。
ぼちぼち精神や中動態のスタンスは、いきすぎた自己責任論社会への小さな反抗でもあります。平凡な日常の特別さを愛でることは、日々重ねる静かな反戦の意志です。ただただ楽しいということの切実な尊さをかみしめながら、「ただただ楽しい本」を作りました。頑張りすぎている人に届くことを願っています。
■書誌情報
『ぼちぼち』
著者:藤岡みなみ
装画・題字:藤岡拓太郎
価格:2,200円
発売日:2025年6月10日
発行:nululu

























