野坂昭如、高畑勲、中沢啓治……それぞれの戦争体験とは? 「戦火の下の子どもたち」の生き方

野坂昭如、高畑勲、中沢啓治の戦争体験

中沢啓治:良心的反戦漫画、ではない『はだしのゲン』

中沢啓治/漫画家
・1939年3月14日〜2012年12月19日
・1945年の年齢(満年齢):6歳
・1945年当時いた場所:日本国内 広島県広島市

『はだしのゲン自伝』(教育史料出版会)

「この世の中に、童話に出てくるようなメルヘンの甘い世界がどこにあるかっ。現実のきびしさを隠し、戦争や原爆を甘い糖衣で包んで、子どもに見せれば、「戦争と原爆はこんなものか」と考えてなめてしまうのだ。」——中沢啓治『はだしのゲン自伝』(教育史料出版会)の終盤には、こんな痛烈な一節が出てくる。

 漫画『はだしのゲン』の内容は、作者である中沢の体験をほぼなぞったものだ。中沢はゲンと同じく広島県広島市に6人兄弟姉妹の三男として生まれた。父の晴海はゲンの父と同じく下駄の塗装の仕事をしており、反戦主義者だった。左翼系の新協劇団にも属していた晴海は、1940年8月に特高警察に逮捕され、翌年10月にようやく釈放された。中沢の母のキミヨは当初、夫は徴兵検査を受けに行ったと説明していたという。晴海は公然と天皇を批判し、裏手に住む朝鮮人の一家にも友好的だった。中沢は自伝でそんな父を誇らしく語るが、金が稼げず母に苦労をさせたことも認め、芸術や左翼思想のため自分の家庭を犠牲にしている人間は大嫌いだと記している。

『はだしのゲン(第1巻)』(汐文社)

 1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下される。中沢は市街が炎に包まれ、熱線に焼かれた人々がふらふらと歩く地獄絵図を目にした。父と姉の英子、弟の進は炎上して倒れた家の下敷きになって死んだ。この直後に母のキミヨが出産した妹の友子は、終戦直後の劣悪な食糧事情のため、生後わずか4か月で死んでしまう。

 中沢の真の苦難は戦後にあった。キミヨが一時的に衣類や家財を預けた知人は、平然とそれらを横取りした。一家の大黒柱を失った中沢家は、広島市南部の江波の親類宅に転がり込むが、終戦直後の食料難の時期だけに露骨に迷惑がられ、キミヨは家の物を盗んだと一方的に濡れ衣を着せられる。弱者が善良とは限らない。この時期の周囲の人々の冷たい仕打ちを振り返り、中沢は「「民主主義」「愛」「平和」「正義」「弱い人を助け合いましょう」「めぐまれない人に愛の手を……」、なんと空虚で空々しい言葉と標語であろうか。人間がそんな綺麗なことを言える動物か。」と記す。

 成長後の中沢は上京して漫画家となるが、東京で放射線による病気はうつるという誤解から「被爆者差別」があることを知ると、自分の体験を語ることを秘した。そんななか、戦後21年を経た1966年に母が死去したあと、アメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)が、母の遺骸を標本として貰い受けたいと申し出たことに憤慨する。母の遺骨は、放射線障害のためか灰ばかりで骨がほとんどなかった。

 この経験を機に中沢は原爆を題材とする漫画を描き始める、その第一作が1968年に『漫画パンチ』に掲載された『黒い雨にうたれて』だ。当時中沢がアシスタントを務めていた辻なおきは、同作を読んで「よくやった」と激励したが、編集長は中沢に「君と自分はCIAに捕まるかもしれん、覚悟しておけ」と語ったという。実際に終戦直後、アメリカは広島の原爆被害を報じることをきびしく取り締まった。1960年代当時も冷戦下で、まだ沖縄は返還されておらず、アメリカの影響力は絶大だった。当時、岸信介元首相ら自民党の有力政治家の一部はCIAの資金援助を受けている。

 以降、中沢は原爆テーマの作品を次々と発表し、1973〜1975年に『週刊少年ジャンプ』に『はだしのゲン』を連載する。その後、同作は日教組が公認する反戦漫画として、「小学校の学級文庫で読める唯一の漫画」になった。だが、本作を教師が勧めるのにふさわしい良心的漫画と思うのは早計だ。劇中には米兵の愛人になったパンパン女も出てくる、米兵が使うコンドームが出てくる場面もあった、ゲンの旧友ムスビが麻薬(ヒロポン)に溺れる描写もある……それらもまた、中沢が焼け跡で見てきた現実だった。中沢はまさに、冒頭に引用したような心情でそれらを描いた。

 中沢の戦争に対する怨念は最晩年まで衰えなかった。没後に刊行された『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社)では、2011年に初めて広島平和記念式典に参加したと述べつつ、理想の式典は「あの戦争を起こした戦犯の人形を並べて市民が石をぶつける式典です。そういう式典ならばぼくも喜んで参加したい」と記している。

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