「宇宙開発」をわかりやすく伝えるには? 宇宙ライターによる書籍『宇宙を編む』が親しみやすくて面白い

私事から入って恐縮なのだが、本書との出会いは稀に見るタイミングのいい偶然だった。
売野機子(著)『ありす、宇宙までも』(小学館)に関連したコラムを執筆するため宇宙開発関連の書籍を探していたところ、筆者が私的に運営しているイベントのSNSアカウントが見慣れない人物のアカウントにフォローされていた。それが本書の著者である井上榛香氏だった。そのタイミングで同氏の著書である『宇宙(そら)を編む ~はやぶさに憧れた高校生、宇宙ライターになる~』(小学館)の存在を知った。筆者は勢いのまま同書をポチって購入し、『宇宙を編む』は筆者執筆のコラムの参考文献リストに加わった。
筆者は雑文書きであり、脚本家であり、宇宙開発の事を書く専門の物書きではない。筆者のライター歴は10年近く、SF作品の解説などの文脈で宇宙に関することを書いたことはあるが覚えている限りその機会は3回しかない。その3回のうちの1回が今回だった。稀に見る絶妙なタイミングである。
■宇宙開発の教養書であり、取材記事であり、エッセイ
私的な話からの導入とのなったが、本書も私的な部分と公的な部分が同居する構成になっている、ポップな表紙デザインの通り親しみやすい語り口で、Amazonの分類では「ノンフィクション>ビジネス・経済」になっていたが実際に読んだ印象ではエッセイ寄りの教養書と言った趣である。
最初の章は著者自身が「代表作」として挙げているベンチャー企業による牛糞由来の燃料を使ったロケットの取材話から始まる。牛糞ロケットに限らず井上氏は数多くの宇宙開発関係者に取材を行っており、そこに描かれる画期的な技術(牛糞ロケットなど)、殆どの人が知らない裏方的な仕事(人口衛星の出荷など)の取材記事的な魅力は本書の魅力の一つである。一般的では無い工学の理論がよくかみ砕いて描かれているが、本書の特徴はそこにエッセイ的なプライベートな物語性が加わっていることだろう。ただ画期的な技術の話をされるより「そこに到着したら牧場の臭いがした」と言われた方が親しみがある。

著者は文系出身でSTEM分野の専門家ではないが、こういった描き方はだからこそできることだろう。筆者がコラムの参考文献の一冊としてリストした柳川 孝二 (著)『宇宙飛行士という仕事 - 選抜試験からミッションの全容まで』(中央公論新社)は宇宙開発及び、宇宙飛行士について知るうえでこれ以上ないほど内容面では充実していたが、情報量が多すぎで正直少々読むのに疲れた。
これはいくらか偏見も混ざっているが、理系に限らず本職の開発者や研究者、法曹関係者などの実践的な知能エリートはギチギチに文章内に情報量を詰め込んでしまうきらいがあると思う。(『宇宙飛行士という仕事』の著者である柳川氏は元JAXA職員で、早稲田大学大学院で物理学を学んでいたバリバリの理系である)。より細かい情報を伝え、可能な限り誤解を避けるにはその方法が最適解なのだろうが、それは読みやすさと相反するものである。『宇宙を編む』は宇宙開発分野の本職専門家が発する情報量には及ばないが、親しみやすくて読みやすい。学術書でも専門書でも無いので取材した企業には肩入れするし、宇宙飛行士候補者採用試験に落選した知人がいれば同情する。宇宙開発の関係者も人間なら取材するジャーナリストも人間である。一般的な取材記事では許されないこういった情感はエッセイ寄りの教養書≠専門書のような立ち位置だからこそできることだろう。
■一般的でない分野の「通訳」として
アポロ計画の立役者であるヴェルナー・フォン・ブラウンは「一般に対するこの計画のわかりやすい報道がなければ成し遂げられなかった」と報道関係者に感謝の言葉を送っている。宇宙開発には税金が使われるため世間一般からの理解は必要不可欠だが、宇宙開発のような難しい事柄を誰でもわかるように伝えるには「通訳」が必要だ。JAXAにはそのために広報がいるし、井上氏のように一般人でもわかる形で情報を咀嚼して「通訳」できる存在は必要だろう。高校時代にJAXAのタウンミーティングに参加し当時JAXA広報職員から聞いた話に感銘を受けたようだが、著者ご自身も今は似た役割を担っていると言えるだろう。宇宙飛行士になるにはSTEM分野の経験が不可欠だが、実際JAXAにも文系出身者はいるし宇宙について報じるジャーナリストにも相当数の文系出身者がいる。

小山宙哉(著)『宇宙兄弟』(講談社)、幸村誠(著)『プラネテス』(講談社)、『ありす、宇宙までも』などの宇宙開発を題材にした漫画も、数多くの宇宙開発を題材にしたSF映画も文系出身者が作ったものだ。これらの共通する特徴は「分かりやすさ」だ。高等数学にとりかかる前にまず算数があるように、ショパンを弾く前にチェルニーの教則本を練習するように、入口はいつであっても分かりやすく親しみやすくなければならない。別の拙記事を書く前に宇宙に関連する書籍を何冊か読んだが、もっとも分かりやすく親しみやすい内容だったのは本書『宇宙を編む』である。この記事を書いている筆者自身も大学院まで文系、現在はエンジニア兼業の似非理系である。似非理系の筆者でも本書を楽しめたというのは重要な事実だろう。
■政治、国際関係と宇宙開発 ロシア、ウクライナ
「宇宙開発を取材して原稿を書くには、工学やサイエンスのほか、政治、国際関係、安全保障、歴史、法律、ビジネスなどの知識が求められ、まるで総合格闘技みたいだ。どれだけ勉強しても知らない専門用語や略語が湧いてくる」と本書冒頭の方にある。宇宙開発関連の事を取材すると取材対象に追いつくために必然的に複数の分野への知見を得ることになる(というか学ぶ必要に迫られる)
工学は宇宙開発関連で容易に想像のつく分野だが、政治、国際関係も重要な関連分野だ。本書は長引くロシアのクライナ侵攻にも言及している。ロシアは伝統的に宇宙開発に強く、現代においてもソユーズロケットの提供をはじめとした重要な役割を担っているためだ。それに加えて著者の井上氏ご自身がウクライナに留学していたため、本書には同国に対する特別な思いも綴られている。物事を見るときの視点の譬えに「鳥の目(俯瞰の視点)虫の目(個人レベルの視点)」というものがある。多くのジャーナリストが日々綴っているのは主に鳥の目であり、後者は見過ごされがちだ。こういった一般的な書き方では零れがちな視点もエッセイ的な――私的な視点が含まれる本書の立ち位置ならではである。戦争と言えば前述のヴェルナー・フォン・ブラウンはもともとV2ロケットという兵器をナチス政権下で開発していた人物である。「ロケットは人工衛星や宇宙飛行士を載せて飛ぶけれど、爆弾を載せればミサイルになる」と本書文中にあるように、ハーバー・ボッシュ法が化学肥料の大量生産を可能にして人類を飢餓から救った一方、発明したフリッツ・ハーバーが毒ガスの開発で多くの人命を奪ったように、残念ながら宇宙開発(に限らず多くのテクノロジー)は戦争と切り離せないのである。ウクライナ侵攻でウクライナ軍に通信環境を提供している「スターリンク」は民間宇宙開発関連企業SpaceXのサービスである。
■お仕事ものと裏話
ジャーナリストは取材した対象の事を書くものだが、本書は取材する側の目線で描かれているため記事には載らない取材の裏側も描かれている。ある種の「お仕事もの」としても楽しめる。ロケット打ち上げになると宿の確保が困難になる種子島で人脈を駆使して宿の確保に成功するエピソード、NASA取材のための取材申請からケネディ宇宙センターに実際に赴くまでの件など、まさに宇宙専門ジャーナリストの「お仕事もの」としての要素だろう。実は井上氏には筆者主催のイベントに来ていただたことがあり、その際に本書に収まりきらなかった裏話を伺う機会を得た。ただ、それらはプライベートな場での共有だったため、本稿で内容の詳細に触れるのは自粛しておこう。






















