古代史のロマンに満ちた“歴史”ミステリ『マサダの箱』現実とフィクションの境界を越えるエンタメ作品

“歴史”ミステリ『マサダの箱』を読む

 世界中で多くの読者を魅了してきた、時代を超えた謎を解き明かす“歴史”ミステリ。『ダ・ヴィンチ・コード』や『風の影』の例を引くまでもなく、知的好奇心を刺激する名作は枚挙にいとまがないが、2025年、日本のミステリファンにとって待望の一冊が生まれた。越ナオムによる『マサダの箱』(知道出版)ーー日本の古代史を正面から捉え、その“余白”を埋めるようなリアリティを湛えながら、さまざまな意味で「ロマン」に満ちた大作だ。

■エリート警部補・小坂柚月と歴史オタク・南雲光のバディもの

 東京と出雲で相次いで発見された、男性の遺体。事件を追うエリート警部補の小坂柚月と歴史オタクのイケメン研究員・南雲光は、出雲の被害者宅で荒神谷遺跡から発掘された銅剣を発見する。その銅剣に刻まれていたのは、古代ヘブライ文字だった。調査を進めるなかで、二人はこの事件の起こりが西暦73年の古代イスラエルにあり、第1次ユダヤ戦争の要塞・マサダが陥落した際に持ち出された秘宝“マサダの箱”が鍵を握ることを突き止めてーー。

 歴史ミステリとしての魅力は、本サイトコラム「出雲神話と古代イスラエルの接点とは? 古代史の魅力が凝縮された新たなるミステリ『マサダの箱』を読む」に詳しい。古代史には今も多くの謎が残されており、越ナオムの豊富な知識、探究心と点と点をつなぐ想像力によって生み出された物語は、随所で「仮説」として成立すると思わされるような説得力を持つ。もともと古代史に知識や関心がなくてもまったく問題ない。現代と古代を行き来しながら展開される物語のなかで、ふと頁をめくる手を止めて、例えば荒神谷遺跡の出土品など、調べごとをしてみるのも面白いだろう。学術的に確定している情報と虚構の作品世界がリンクし、まるで自身が作中の事件を捜査しているような、現実とフィクションの境界を越えるエンターテインメントを体感できる。

 他方で、本作には柚月や光とともに頭を悩ませずとも気持ちよく楽しめる、もう一つの大きな魅力/ロマンがある。それは、歴史を訪ねる旅とも呼ぶべき物語を彩る“旅情”だ。

 例えば、二人が神話の地・安曇野に到着するシーン。出雲駅で借りたレンタカーで安曇野に向かう車中、古代史に関する議論を重ね、トラブルに見舞われながら二人がたどり着いたのは、夜明け前の梓川の畔だ。見事な朝焼けとともに、四方を山で囲まれ、水源のある安曇野の豊かな歴史を想像させる場面から、気の重たい霧雨という天候の変化とともに、捜査が進んでいく。神社を中心に名所旧跡が多く登場し、アクセスも詳述されているため、紀行文学としても十分に楽しめる。読了後の「聖地巡り」も楽しそうだ。

 さらに、「旅情」という観点でこちらも作者の知識と経験が活かされているのが、物語のなかでも深く印象に残る穂高連峰の登山行だ。それも山の頂きと頂きを結んで歩く縦走登山について、これほど細やかに、かつ「厳しい」だけでなくある種の憧れを伴うものとして描写できるミステリ作家が他にいるだろうか。醍醐味である岩場の踏破に必要な装備まで把握し、一般登山者が抱くロマンを理解しているからこそ、現地に吹く風も感じられるようなリアリティがある。山小屋で本書を開いたとしたら、どれだけの臨場感があるか。穂高連峰は7月中旬~9月下旬にかけて登山に適した夏山シーズンを迎えており、バックパックに本書を忍ばせておくのも楽しそうだ。本作から始まるシリーズの一作として構想が進んでいるという、本格的な山岳編(参考:出雲神話にユダヤ伝説ーー時空を超えた歴史ミステリ『マサダの箱』作者に聞く“古代史”の魅力)にも期待が高まる。

 古代と現代を行き来し、ユダヤの末裔と出雲神話を結ぶグローバルなミステリーでありながら、旅情とともに地に足のついた感触も強く伝わってくる本作。古代史のロマンにじっくり浸るのもよし、本書を携えて旅に出るのもよしの、懐の深い一冊だ。

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