【追悼】谷川俊太郎 幻の矢野顕子&坂本龍一作品の存在ーー交流あった元編集長が振り返る才能と影響

【追悼】谷川俊太郎 元編集長が振り返る今への影響

──『小学一年生』での連載は、絵を和田誠さんが手掛けられました。谷川さんと和田さんは、『しのはきょろきょろ』などの絵本や『マザー・グース』の翻訳で組んでいましたが、『小学一年生』でのタッグは編集からの依頼ですか?

 和田誠さんの絵を入れようというのは、谷川さんの提案だったと思います。和田さんに描いてもらえるならいいなとなって、そのままお願いしました。連載では、谷川さんから来た原稿を和田さんのところに持っていって、そのまま絵を描いて頂いていました。おふたりを会わせて相談するようなことはありませんでした。幾つもお仕事をされていましたから、和田さんとはいつもそういった進め方をされていたのではないでしょうか。

野上暁氏

──『小学一年生』での連載が終わって本にまとまったものが『いちねんせい』になります。1987年12月に刊行されて第37回小学館文学賞を受賞しました。今も売れ続けている人気の絵本ですが、連載されていたのは1980年代の始めですから、本になるまでしばらくかかりました。

 連載が終わった年に、すぐに本にしたいと谷川さんに言ったんです。谷川さんは詩集なんて売れないから、どうせやるのだったら僕が詩を朗読するからカセットテープを付けて売らないかと言ったんです。新潮社のカセットブックが出たのが1985年ですからそれより前。面白いなと思って打ち合わせを進めたら、僕の朗読だけではつまらないからアッコちゃん(矢野顕子さん)に歌を作ってもらって一緒に入れようとなったんです。谷川さんが、僕が言えば矢野さんもやってくれるよというので、阿佐ヶ谷の喫茶店で矢野さんと谷川さんと担当編集者も一緒に会って話すと面白がってくれました。矢野さんは、カセットが2個ではがきの大きさになるから和田誠さんの絵はがきを付けようとか、小学館だから着せ替えも付けようとか言って盛り上がりました。

──大事ですね。今なら書籍や画集にグッズも一緒に入れたプレジャーボックスが幾つも出ていますが、当時としては極めて異例です。どうして実現しなかったのですか。

 製函屋で本とカセットと絵ハガキなどをセットする箱を作ってもらうなどして進めていて、さてバックの音楽はどうしようかということになりました。すると矢野さんは、坂本(坂本龍一さん)に頼めばいいというので、坂本さんのマネージメントをしていたヨロシタミュージックの社長に相談したら社長も乗り気で、それで進めようとなったところでコスト計算をすると、どう考えても3000円を超えてしまうんです。当時は2000円くらいが限界で、カセットを入れた本をどう売れば良いか分からないといった話も営業から出て止まってしまいました。何年かして、寝かせておくのももったいないので絵本にすることにしました。

『いちねんせい』(小学館)

──実現していたらすごい1冊になったと思います。谷川さんの連載以降、『小学一年生』ではコピーライターの糸井重里さん、劇作家で演出家・俳優の野田秀樹さんの連載が続きます。童話作家や童謡詩人とは違った人による執筆も、谷川さんの連載が拓いたものと言えそうですね。

 糸井重里さんは谷川さんに紹介してもらいました。連載が終わった後で次をどうしましょうと相談したら、面白いのがいるんだよといって、糸井重里というけれど知っているかと聞かれたので知っていますと答えました。糸井さんに頼んで絵は誰が良いでしょうといった話になって、出てきたのが日比野克彦さんです。前に段ボールを工作した作品展を開いていたのを、何か付録のアイデアを頼めないかと思って見に行ったことがあって知っていたので、お願いしました。野田さんは糸井さんと話す中で出てきて、『野獣降臨(のけものきたりて)』を見て言葉遊びが面白い人だと思っていたのでお願いしました。

──文化の最先端を行く人たちを次々と取り込んでいったところに、当時の『小学一年生』のアグレッシブさがうかがえます。

 編集長になったのが30歳代の後半でまだ若かったから、勝手なことができたのではないでしょうか。先輩からはお前たちがそんな勝手なことばかりやっているから、学年誌が売れなくなったんだと散々文句を言われました(笑)

──連載が終わった後も谷川さんとの交流は続いたのですか。

『いちねんせい』が出た時に、帯で読者からの詩の募集を行って谷川さんに選考委員になってもらいました。本の宣伝のためでしたが、良い詩があれば本にしようと思っていました。「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)が1994年に日本で批准された時には、小学館で権利条約を中学生が訳した本として『子どもによる 子どものための「子どもの権利条約」』を作ることになって、谷川さんに協力していただきました(1995年発売)。JCBの会員誌「THE GOLD」の編集を請け負っていた時にも、谷川さんにずっと連載してもらいましたし、小学館を退社してからも、大月書店で企画した「考える絵本」シリーズで『死』を書いていただき、本ができてからも千葉県柏市の子どもの本専門店でのトークイベントにも来ていただきました。2021年の11月に、お宅に伺って雑誌『飛ぶ教室』のインタビューをしたのが最後になりました。

『いちねんせい』読者からの詩を募集したときの帯

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