長井龍雪の新作映画『ふれる。』小説版が刊行 『あの花』『ここさけ』に続く“コミュニケーション”の物語

『小説 ふれる。』レビュー

 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』『空の青さを知る人よ』の長井龍雪監督によるアニメ映画『ふれる。』が10月4日に公開。King & Princeの永瀬廉や注目若手俳優の坂東龍汰、前田拳太郎が主人公たちの声を担当することでも話題の映画で、どのような話になっているかが今から気にかかる。額賀澪が執筆して9月5日に発売された公式ノベライズ『小説 ふれる。』(KADOKAWA)によると、どうやら人と人とがコミュニケーションを取ることの難しさ大切さを感じられる作品になっているようだ。

 島で暮らしている小学生の秋、諒、優太が出会ったヤマアラシともハリネズミともつかないトゲトゲの生えた生き物。島の言い伝えによれば〈ふれる〉と呼ばれる存在で、人と人との心をつないでくれる不思議な力を持っているという。その〈ふれる〉に触れたことで秋、諒、優太はそれぞれが何を考えているか分かるようになり、親友となって成長し、就職や進学に合わせてそろって東京の街へと移り住んだ。

 映画『ふれる。』の本予告第2弾には、そんな3人が同じ家に暮らしていて、夕食に何を作ろうか迷った時に、手を触れあって心の中で思い思いのメニューを挙げていって、最後に一致をみる展開が登場する。『小説 ふれる。』によると、3人が出入りしていた学童保育の施設で、先生がよく作ってくれた汁物が挙がって、「それだ」と決まったようだ。口で言い合っていてはまとまらず、遠慮もでるところが1発で決まるところに〈ふれる〉の力の便利さが感じ取れる。

 自分の考えが相手に伝わってしまったり、相手の考えていることが分かってしまったりするのは、普通なら怖いことだと思われそう。相手が自分に対して良い思いを抱いていないことが分かってしまってケンカになったり、ダメージを受けたりしかねないからだ。その点、秋、諒、優太の3人は子供の時に〈ふれる〉に触れていたことで、相手が腹の底で何を考えているのをわかりきっていると感じていた。〈ふれる〉の力に抵抗感はなく、メニュー決めの時のようにすっかり頼り切っていた。

 東京で秋はバーテンダーの仕事を始め、諒は不動産会社に入り、優太はファッションの専門学校に進んでとそれぞれの道を歩んでいる。そして毎朝いっしょに朝食をとる。「何がどう変わろうと、この三人と一匹の時間はこれからも続いていくのだから。続いていく限り、何もかも大丈夫なのだ」。そう小説にもあるように、友情を超えたつながりを持ったまま進んでいくように見えた3人の関係が揺らぎ始める。

 〈ふれる〉の力がなくなって、相手が考えていることが分からなくなってすれ違いが起こり始めたということか? そうかもしれない。優太が専門学校で世話になっている講師を3人が暮らす家に連れてきた時に、諒が〈ふれる〉の力で文句を伝えようとしても、伝わらないことがあったからだ。もしかしたら、伝わってはいても優太がただ無視をしただけかもしれない。どちらにしても、隠し事なしだった関係を裏切られたようで、秋も「なんか、面倒だな……こういうの」と不安がる。

 子供の頃、言いたいことがあるのに言葉にできないでいた秋は、代わりに手を出して厄介がられていた。諒ともよくケンカになっていたが、〈ふれる〉を通して繋がれたことで、一緒に暮らすまでの仲になれた。そうした経験を踏まえて、心をさらけ出し合うことは良いことだと感じさせる映画なのかといった想像も浮かぶ。

 もっとも、実際に映画を観るなり『小説 ふれる。』を読むと、少し違った印象を受けるかもしれない。〈ふれる〉の力を信じ切って、伝わってこない感情は存在していないものだと決めてかかって良いのか。心の奥の奥のその奥に伝わらない感情があるのではないか。物語の展開からそうした可能性が浮かび上がって、以心伝心が万能とは限らないことを示すのだ。

 コミュニケーションに必要なものは馴れ合いではなく、常に相手のことを想像したり慮ったりすることなのかもしれない。『ふれる。』を観たり『小説 ふれる。』を読んだりすることで、そうした理解に至ることができるのか? 答えは映画や小説で確かめよう。

 お互いのことを知り尽くしていると感じていて、何を言ってもやっても怒らないといった境地にたどり着いている秋、諒、優太の3人の言葉や振る舞いには、感情がむき出しになっているところがある。内輪では通じても、馴れていない外の人には刺激が強いかもしれない。それは観客や読者にも同じように刃となって突き刺さる。

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