新型コロナ、東京五輪、分断国家……ミステリは近年の社会をどう映し出した? ミステリ評論家・千街晶之インタビュー

党派性とは、なるべく離れたところで書きたい

――『ミステリから見た「二〇二○年」』の連載当時に「ジャーロ」編集長だった鈴木一人氏にインタビューした際、「評価がある評論家さんが、売れる本を書けないとは思えない」と話していました。(参考:「ジャーロ」編集長インタビュー 「評価がある評論家さんが、売れる本を書けないとは思えない」)つまり売れる本を書いてほしいというわけですが、どう受けとめていますか。

千街:その質問に答えられるのは売れている評論家かなと思うので、私は答える資格がないように思います。

――千街さんから隙間産業という話がありましたけど、評論家として、文筆業者としていかに生き残るかについてはどう考えていますか。

千街:私はたぶん、パッと売れることは今後もないでしょうし、かといって食いはぐれることもあまりなさそうというか。この仕事をして来年で30周年になるんですけど……。

――1995年に「終わらない伝言ゲーム ゴシック・ミステリの系譜」で第2回創元推理評論賞を受賞したのが、評論家としての本格デビューでしたね。

千街:30年やってこれたのだから、今後もなんとか食っていく程度にはやれるんじゃないかくらいの考え方です。自分はかなり悲観主義的なところもありますが、同時にわりと楽観的な面も持ついう矛盾した性格です。ただ、状況は変わってきているわけで、最近はYouTubeで杉江松恋さんと小説誌に載った短編小説を1ヵ月おきに紹介する「短いのが好き」をやったりしています。

千街・杉江の「短いのが好き」2022年5月号前編

 自分は喋るのが不得意で、昔は講演会とかなるべく出ないようにしていたんですが、ある時期からそんなことをいっている場合ではないと思ったので、自分から積極的にということではないですが、トークイベントなどに声がかかってスケジュールがあえば出るようになりました。私はあがり症なんですけど、もう50代だしそんなことをいっていられる立場でもない。

 書評家としてけっこう上の世代がバリバリ現役でやっているので、わりといつまでも自分が若手のような立場だった時期が長かった。けれど、気づくと下の世代に蔓葉信博さん、若林踏さん、荒岸来穂さんなどがいる。とはいえ、自分たちの世代ほど何人も育ってきている感じではない。それもあって、自分などがもうちょっと頑張らないといけないのだろうと自覚が生じたところはあります。

――ミステリ評論をめぐるこの30年の状況変化をどのようにとらえていますか。

千街:例えば、南雲堂さんが限界研の評論集を出したり、飯城勇三さんの本を出したり、頑張ってくれている出版社がある。行舟文化さん、星海社さん、もちろん光文社さんなど、ミステリ評論書を出す版元があるのはいいことだと思います。逆にいうと、それらに頼りすぎると、出版社が手を引いた時、総倒れになるのではという不安は常にあります。

 そのなかでたとえ少部数でも本を出すことには意味があると思います。私や円堂さんも属している書評家の団体、探偵小説研究会がかかわっていたe-NOVELSというサイトが2000年代にあったでしょう。

――作家たちが電子書籍(PDF)化した小説をオンライン販売する場であり、探偵小説研究会の書評、評論なども掲載されていたサイトですね。

千街:あのサイトが閉鎖されるまでを経験しているので、電子媒体での文章がいつまでも残るとは考えていないんです。一時期はたくさんあったミステリ系ブログも今はほとんど読めなくなっていますし、電子書籍にしてもサービスが終了したらどうなるんだというのがある。長く残るとは信用できないところがあるので、今回のように紙の本にして残すことには重要な意味があると思っています。

――『ミステリから見た「二〇二〇年」』の場合、コロナや東京五輪など現実の出来事を題材にした小説が、論ずる主な対象となっています。でも、ミステリには本格ミステリのように非日常的な謎解きゲームを志向した作品も多い。よく話題になる「音楽に政治を持ちこむな」論争とか、アニメに社会問題を読みこむタイプの批評に対しオタクが示す嫌悪感とか、フィクションと現実を結びつけることへの忌避感については、どう考えますか。

千街:今回の本でとりあげた作品でも、作者本人は現実をそこまで意識していないかもしれないけど、結果としてそうなったかなという作品があります。例えば、竹本健治さんの『闇に用いる力学』などです。ただ、読む側、批評する側としては、今の社会状況と作品の内容を二重写しにする読み方ができてしまう。

 ミステリに限らずマンガでも音楽でもいいですけど、フィクションの世界に政治を持ちこむなとか、逆に政治を意識しろみたいな考え方は、よく意見として目にしますけど、たいていダブルスタンダードなのではないかと思います。自分が認める政治はいいけど認めない政治はダメだみたいな党派性とは、なるべく離れたところで書きたいと意識していて、それは『ミステリから見た「二〇二〇年」』にも表れていると感じます。

 自分の政治的スタンスは、どちらかというとリベラルや左派に近いですが、左派的な考えがブレーキを失って暴走するとろくなことにならないと思っている点では、保守的な立場でもあります。例えば、右派的な立場の人がこの本の第七章を読んだら激怒するでしょうけど、逆に、左派やリベラルで、表現の自由は制限がかけられるベきだと考える人が第六章を読んだら、やっぱりムッとするでしょう。本全体を読んで私の意見に全部賛成してくれる人はほとんどいない気がします。実際にできているかどうかはべつとして、自分としてはなるべく公平に不偏不党でやっていきたいと考えています。

 今回の評論で一つやりとげた達成感はありますけど、次の仕事にどうつなげていくかは、まだちょっとみえていない。これからどうしようかと、また考えているところです。

■書籍情報
『ミステリから見た「二○二○年」』
著者:千街晶之
価格:3,080円
発売日:2024年7月24日
出版社:光文社

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