「武器はとにかく文筆」革命家・外山恒一、名文家としての顔ーー赤川次郎から糸井重里まで、大いに語る

■〝口だけ反日武装戦線〟になるのは避けたい

〝口だけ反日武装戦線〟になるのは避けたいがために、本末転倒な努力を長年にわたり真面目に続けてきたと話す外山氏

ーー著書でも、リスペクトはするが「しんどい」と表現していますね。

外山:僕は20歳の時に当時の仲間から『腹腹時計』のコピーを見せられて、衝撃を受けました。これは正しいと。華青闘告発以後の左翼運動の世界に何年か身を置いてれば、いわゆるポリコレ的な問題意識をたいていは内面化してしまうものですし、僕もそうでした。要はそういう問題意識を突き詰めたのが『腹腹時計』ですから、正しすぎるぐらい正しいと思わざるをえませんでした。

  しかし、このロジックを受け入れてしまったら、自分も爆弾闘争に志願しなければいけなくなるはずなんですよ。それは僕には無理だと。1990年頃のことですから、〝時代が違う〟ということももちろんありますけど、たとえ僕が75年の若者だったとしても、僕には爆弾闘争に踏み切るほどの覚悟や勇気はないです。しかし『腹腹時計』のロジックからすれば、爆弾闘争をやらない奴は偽物なので、つまり僕は偽物なんだと認めるしかなくなるんです。まあ偽物なのかもしれませんけど(笑)、偽物だと認めてしまうのもシャクなので、どうにかして爆弾闘争なんかに踏み切らなくても済むような、ポリコレ的なものとは違う革命の論理をでっちあげられないものか、と。

  〝口だけ反日武装戦線〟になるのは避けたいですからね。そういうかなり本末転倒な努力を、以後長年にわたって真面目に続けてきた末に、現在の僕の思想的立場も確立されているというわけです。〝口だけ反日武装戦線〟と化している大多数の左翼の皆さんは、苦労を知らずにお気楽でいいですねと思います。

■凡庸なリベラルでしかないという無惨

ーー桐島聡に話を戻すと、彼はソウルやロックが好きだったという話もありますが、1954年生まれで、村上龍や坂本龍一など、80年代以降のカルチャーを引っ張った人たちと同世代でもありました。そのあたりはどう見ますか。

外山:80年代半ばに「若者たちの神々」などと称された人たちの大半は全共闘世代です。村上龍は長崎の佐世保北高校の全共闘、坂本龍一は東京の新宿高校の全共闘で、全共闘世代といっても年少組ですけどね。しかしむしろ彼らのように高校全共闘くらいの世代のほうが、まあ坂本龍一は怪しいですけど(笑)、これまで全共闘についてさんざん語ってきた年長組、つまり大学3、4年生や院生として全共闘を体験した人たちよりも、ずっと志を持続している場合が多いような気がします。

  いずれにせよ全共闘世代の連中は、主観的には志を持続していると思いこんでるような人に限って、実は転向している場合がほとんどなんですよ。とくに憲法9条がどうこう言ってるような〝元全共闘〟の連中ですね。全共闘で暴れてた頃は憲法なんかどーでもいいと思ってたはずだし、さらに言えば欺瞞的な戦後民主主義、戦後平和主義の象徴として、ラジカルな立場からの全否定の対象ですらあったはずでしょう。


「9条を守れ!」とか言いだすのはラジカルからリベラルへの無自覚な転向ですし、欺瞞的な戦後平和主義を糾弾した華青闘にもう一回きつく叱られたらいいんじゃないかと思います。そこらへんも、高校全共闘とかの年少組のほうが、思春期に自我を揺さぶられたというのが大きいのか、そういう無自覚な転向には陥らずにラジカルな立場を貫いている人が、相対的には多いのかもしれません。

  アニメ監督の押井守(1951年生まれ)なんかも非転向ですよね。実はすっかり転向してしまっている年長組の連中がこれまで全共闘について主に語り散らしてきたせいで、全共闘運動そのものがだいぶ誤解されていると思います。無自覚に転向したリベラルの立場からラジカルな全共闘体験を正当化しようとするもんだから、わけのわからないものになるに決まってますし、後続世代からの理解も得られるはずがありません。

 全共闘世代より10歳ほど下の、いわゆる新人類世代について言えば、彼らが若者だった70年代後半から80年代前半にかけての時代は、政治運動シーンが本当に命懸けのものになっていて、軽い気持ちで関わると内ゲバとかに巻き込まれて殺されかねないし、そこまでいかなくても、魅力的な運動を形成する能力を持った優秀な活動家であればあるほど、命懸けで内ゲバをやっている諸党派からすれば自らのヘゲモニーを脅かしかねない危険な存在ですから、たいてい芽のうちに摘まれるというか、例えばちょっとした失言とかを「差別発言だ!」と糾弾されて運動の世界から追放されたりするわけです。

  反差別論・マイノリティ論を武器にいったんは諸党派を追い詰めたはずのノンセクト活動家たちは、いつのまにか〝差別糾弾〟を口実に諸党派から統制を受ける立場に追い込まれてしまって、1980年前後の新左翼運動シーンは本当に最悪です。

  本来ならば新左翼運動の新しい担い手として、行き詰まったところをリフレッシュして、運動を魅力的なものに更新していくような能力を持った80年前後の若者たちが、とくに優秀であればあるほど、運動の世界には入っていけなかった。だから彼らは文化や学問の世界にいわば避難して、それでサブカルチャーやポストモダン思想の隆盛をみるわけですね。

 それらは実は80年前後の新左翼文化・新左翼思想なわけですけど、しかし彼らは、政治の世界が当時はあまりにもヤバすぎたために文化や学問の世界に「行くしかなかった」という脈絡を忘れているから、やがて事後正当化的に、政治的なるものそれ自体をバカにするようなシニカルな風潮を作り出してしまった。

  その結果、サブカルチャーやポストモダン的アカデミズムの連中は総じて政治オンチになってしまいます。9・11や3・11をきっかけに、彼らは遅ればせながら政治意識に目覚めますけど、ラジカルな文化や思想の担い手を自認していたはずの彼らが、いざ政治に関わり始めるとことごとく凡庸なリベラルでしかないという無惨をさらけ出す始末です。リベラルですから必然的にダサダサの政治運動ばかり展開して、「君たちは〝センスがいい〟んじゃなかったのか」と言いたくなります(笑)。

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