手嶋龍一、辻真先、柳田邦男……ノンフィクションからミステリまでNHKから人気作家が多数輩出される背景
こうした取材経験を積めるのも、それを本にまとめることができるのも、取材費が潤沢な上に執筆時間もとれるほど仕事が楽だからだといった見方もされそうだが、記者ともなると夜討ち朝駆けが日常で、昼間も取材や執筆に時間をとられるため、本を書く時間は容易には捻出できない。それでも1990年代あたりまでは人員にゆとりがあって、遊軍と呼ばれる無任所の記者として発生する事件に対応したり、編集委員としてひとつのテーマに取り組んだりする中で、執筆に時間をさくこともできた。
最近は新聞も放送局も収益が減少傾向にあり、現場の人員も大きく減らされ執筆時間はなかなか捻出できない。取材費も同様に減らされ長期間取材したルポルタージュが生まれてくる余地も少ない。NHKも同様で、1979年に17000人近くいた職員は、2022年には1万1000人ほどまで減っている。それでもまだ多い方だが、以前ほどのゆとりがない中で取材に執筆に勤しむのも大変だろう。柳田や手嶋、池上彰のように大勢が知るジャーナリストが現れていないのも、そうした締め付けが背景にあるのかもしれない。
フィクションの作家ともなると、取材力とは別の才能が必要となるためさらに登場が限られる。新人賞を獲得したミステリ作家が元アナウンサーだとしたら、よほどの努力をしたのだろう。経歴が明らかになっている作家では、NHKのディレクターでTwitterアカウント「@NHK_PR」執筆者として評判になった浅生鴨がいて、局員時代から短編を執筆していたが、本格的な活動は退職後となる。産経新聞の記者だった司馬遼太郎が直木賞受賞後に退職し、『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』といった傑作群を次々と発表していったような活躍があるか。興味を引かれる。
それ以前にNHK出身作家には、ミステリ界の長老がいる。「迷犬ルパン」シリーズの辻真先だ。1981年に『アリスの国の殺人』で日本推理作家協会賞を受賞した実績の持ち主だが、一般にはアニメの脚本家として知られている。TVアニメ黎明期の『鉄腕アトム』や『エイトマン』で脚本を執筆し、先だって死去した鳥山明の漫画を原作にした『Dr.スランプ アラレちゃん』も放送の第1回目に脚本を提供した大ベテラン。2021年には『名探偵コナン』シリーズに新作脚本も提供している。その辻は1954年にNHKに入局し、演出家やプロデューサーとして番組作りに携わった。今ほど分業化もされていない状況の中で脚本も書いた経験を元に、独立して脚本家となり作家として活動も始めて70年が経った。92歳になった今も新作を発表し、いとうのいぢのイラストで『迷犬ルパン異世界に還る』を同人誌として発表して健筆ぶりを見せている。アニメの批評も続けていて、SNSには『葬送のフリーレン』『ダンジョン飯』『薬屋のひとりごと』の各話感想が並ぶ。
始まりこそNHK時代に脚本を執筆したことだったが、その後の活躍はやはり才覚と努力によるものだろう。NHKの職員だから多様な情報にもアクセスしやすく、執筆の時間も取りやすいといった思い込みを、辻の70年に及ぶ退職後の膨大な仕事ぶりが吹き飛ばしてくれている。