手嶋龍一、辻真先、柳田邦男……ノンフィクションからミステリまでNHKから人気作家が多数輩出される背景

NHK出身の作家が多い理由とは? 

 ミステリの新人賞を受賞した作家が、NHKの元アナウンサーだったかもしれないと噂になっている。誰も認めていない真偽不明な話だけに詳細な言及は避けるが、このケースに限らずNHKからは実に多彩な作家が登場して、読者を楽しませたり驚かせたりしてきた。歴史に残るベストセラーを送り出した人もいれば、ミステリ界の長老として今も作品を発表し続けている人もいる。記者としての取材経験をノンフィクションやフィクションに盛り込む人もいる。どうしてNHKからこれほどまでに作家が生まれるのか?

 1983年の大晦日に放送されたNHK紅白歌合戦の司会は、ベストセラー作家による対決として今も語り草になっている。紅組の司会は黒柳徹子。言わずと知れた『窓ぎわのトットちゃん』の作者で、世界累計2500万部を売り単一著者による自叙伝としてギネス世界記録になっている。その黒柳にベストセラー対決で挑んだのが白組司会を務めた鈴木健二。NHKのアナウンサーでありながら、1982年に執筆した『気配りのすすめ』が単行本だけで322万部の大ベストセラーになっていた。

 1981年から放送が始まった『クイズ面白ゼミナール』での軽妙な司会ぶりが支持されて、放送局を超えたお茶の間の人気者となっていた鈴木アナの本で、中身も面白かったことから好評を博した。95歳になった鈴木アナが未だに「気配りおじさん」と呼ばれるのも、この時の印象が強烈だったからだ。

 司会などで多彩な人を相手にするアナウンサーには博識な人が多く、その知識を活かして本を書く人も鈴木健二に限らず大勢いる。やはりNHKのアナウンサーで鈴木の後輩にあたる山川静夫は、歌舞伎や落語といった日本の古典芸能に通じていて、『綱大夫四季 昭和の文楽を生きる』や『歌右衛門の疎開』といった本を書いて、こうした分野の人たちから一目置かれる存在となっている。

 全国に放送局があるNHKでは、アナウンサーもそうした地方局に配属されるため、誰もがずっと東京にいられる訳ではない。激しい競争の中で勝ち残るために自分なりの武器を磨く中で、番組に関係することを学んだり新しい知識を取り入れたりして自分を高めていこうとする。その成果が、本としてアウトプットされて評判になるという訳だ。

 アナウンサーが日々の仕事で自己研鑽に励むなら、記者は日々の取材活動を通して多くの情報を集めている。深掘りが必要な報道なら取材にかける時間も膨大になる。そうして集めた情報はニュースなり特集番組に反映されることになるが、すべてを15秒のニュースなり1時間の報道番組に盛り込める訳ではない。あの一件は裏でどのような動きがあったのか。一言しか使われなかったインタビューでは、本当はどれだけのことが語られていたのか。気になる人も多いだろう。

 そうした情報を、後に記者が本という形にまとめて出版することは、報道の世界で昔から行われている。特に新聞記者は、取材の成果を記事として書いて発表しているため、そうした記事を加筆して本にすることもやりやすかった。有名なところでは、朝日新聞記者の本多勝一が世界各地に取材して連載したルポルタージュを『カナダ・エスキモー』『ニューギニア高地人』『アラビア遊牧民』にまとめて刊行し、評判となった。

 NHKのような放送局の場合、新聞と違ってニュースや番組用の原稿は書いても文章にはしないが、膨大なメモがあり番組にすることでひととおり整理も出来ているため、それらを元に本にすることがある。NHKのワシントン支局で活躍した手嶋龍一は、次期支援戦闘機(FSX)の導入をめぐる日米の駆け引きを『ニッポンFSXを撃て』に書き、湾岸戦争に巨額の支援を行った二も関わらず日本の存在感が薄かった状況を津窮した『一九九一年日本の敗北』を書いて、テレビより深く事態に切り込んだ。 

 振り返ればNHKには、1966年に相次いで発生した全日空羽田沖墜落事故、カナダ太平洋航空機墜落事故、BOAC機空中分解事故という航空機事故を記者として取材し、原因に迫った『マッハの恐怖』を1971年に発表して、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した柳田邦男がいる。1974年にNHKを退社後も航空評論家として第一線で活動し、1985年に発生した日本航空123便墜落事故では、NHKに出演して事故の状況分析などを行った。

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