中村倫也の〝雑炊づくり〟から見える哲学「心が乱れそうなときほど、当たり前の生活を大事にしたい」

中村倫也〝雑炊づくり〟から見える哲学

 料理好きとしても知られる俳優・中村倫也が〝雑炊〟を作るという、「ダ・ヴィンチ」にて連載されていた人気企画が書籍化。3月14日に『THE やんごとなき雑炊』(KADOKAWA)として発売された。アイデアに富んだ20の雑炊レシピ、料理中に繰り広げられる雑談、それらからインスピレーションを受けて中村が執筆したショートエッセイが収録されている。連載を通して考えたこと、中村にとっての料理とは、さらに生活の中で大切にしていることなどを聞いた。(編集部)

掃除や料理をすることでバランスがとれる

中村倫也

――初のエッセイ集『THE やんごとなき雑談』から3年、『THE やんごとなき雑炊』は初の料理本ですね。しかもタイトルにあるとおり、雑炊オンリーの。

中村倫也(以下、中村):よくやったなあ、と思います。19カ月も、雑炊のレシピだけで連載するなんて。有史初の試みなんじゃないでしょうか。

――お粥やスープに特化したレシピ本はありますけど、雑炊は確かにあまり見ないですね。初の料理連載でもありますが、何か発見はありましたか。

中村:この連載を始めてから、バットを買いました。調理したものをいったん置いておく容器です。僕、それまでは使っていなかったんです。たとえば蕪のパスタを作るとき、素揚げした蕪にそのままソースを入れて麺を混ぜてって、一緒くたに調理していた。でもいったん横に置くって大事なんですよ。蕪のことを気にせず、ソースだけに集中して火加減を決められるだけで、こんなにも味が変わるんだなって、バットを買って初めて知りました。

――少しのひと手間が大事なんですね。

中村:大事ですね。やっぱり、先に入れたものをずっと火にかけていたら、焦げついてえぐみが出ますから。バット、いいですよ。薄いし、場所をとらないし、切ったものをちょっとよけておくにも便利だし、油を落とすにも役立つし。これまでは皿やザルを出してやっていたことが、バット一枚で済むので、選択肢に迷うこともない。バットとトング。この二つがあれば、何でも作れます。

――他にも大事にしているひと手間はありますか?

中村:作るものによりますけど、昨日の夜は玉ねぎを切ったあとに、塩で水分を出して水にさらし、辛みを取りました。でもそれは毎回やるというより、そのほうが昨日の料理に合う気がしたから。あとはキャベツを鍋に入れるとき、レモン汁にさらしておくと臭みが出なくていいですよ。ジャガイモや大根を煮るときは角も取ります。そのほうが崩れないから。

――ちゃんとしている……!

中村:とはいえ、何事も、正しいことだけをやらなきゃいけないって、つらいじゃないですか。だから「あ、意外と楽勝にできるんだな」って思える適当さを混ぜるのは大事かな、と思います。実際、自分で料理するときもそういうスタンスですしね。

 たとえば、第1回の菜の花雑炊を家で作ろうとしたとき、肝心の菜の花を見つけられなかったんですよ。まだ、シーズンじゃなくて。しょうがないからクレソンでいっか、とやってみたらそれもおいしかった。すべてを完璧にこなすのは難しい。ゆる~く、だいたいでいいんだって気持ちが大事。塩加減だって、味見しながら自分の好きなだけ入れたらいいんです。

――料理中のお話も実況で掲載されているので、中村さんのインタビュー集でもある今作ですが、その中で〈ちゃんとしてる、って思いたいじゃない?〉とお話しされているのが印象的でした。自分にとって楽な方法で〝ちゃんとしたごはん〟を用意することで、〝ちゃんと生活してる〟って思えることが、メンタルも整えるんだろうなあって。

中村:僕の場合は、やっぱり、日々の仕事の中で大事にされすぎているなって感じることが多いから。現場ではどうしたって、持ち上げられるじゃないですか。「はい、中村さん入ります!」「よろしくお願いいたします!」みたいにされると、「最近、担がれてるなぁ」って思って落ち着かない。なんだか芸能人みたいだな、って(笑)。

 だから、掃除や料理をして日々の生活を感じることで、なんとなくバランスがとれるんですよね。でもそれって、こういう仕事じゃなくても言えることじゃないのかな。忙しすぎて何もできないときでも、当たり前にそばにある〝生活〟っていうものを、ちょっとでいいからちゃんとやることでバランスがとれる。

――真っ先に、掃除や料理がおざなりになってしまいますからね。本当は一番大事なのに。

中村:上手くできなくてもいいんですよ。ただ、それをするということで取り戻せるバランスがあるような気がするんです。だから疲れて心が乱れそうになるときほど、人としての営みは大事にしたい。そうすれば、船の錨みたいに、自分を根づかせてくれる気がします。

何事も〝必要以上〟は正確じゃない

中村倫也

――料理以外の場面で、何か「面倒だけど守るようにしているひと手間」ってありますか?

中村:何だろう? 運転しているときは、なるべく道を譲るようにしていますね。都内って、無茶な車線変更をしたり、ズルして割り込もうとしたり、荒い運転をする人が多いんですよ。阻止するためにデッドヒートするのも一つの手なんだけど、不毛だし、トラブルになっても面倒くさいから、許してあげるようにしています。……そういう話ではないか(笑)。

――すごくいい話だと思います(笑)。それもやっぱり、中村さんのバランス感覚でもあるのかなあ、と。『蓑唄』の取材でお話しされているときもそうでしたが、心をフラットに保つのがお上手ですよね。

中村:最近思ったんですけど、僕はたぶん変わり者なんです。あんまり感情でモノを考えていないんですよね。若い頃からその傾向はあったけど、年を経るごとにどんどん、そうなっている気がする。「思い込みすぎない」「踏み込みすぎない」みたいな感覚が、たぶん無意識に敷かれているんだと思います。だから……「自分」ってものについて聞かれると、戸惑っちゃう。

――意外です。ご自身のことを説明するのも、すごくお上手な印象があるので。本書でも、各雑炊につけた名前のセンスしかり、言葉の表現が多彩なので、本当にふだん本を読まないのかな? と。

中村:感情論にならない分、言語化することに長けたのかもしれませんね。だけど、内面について問われると、なんて答えればいいのかわからなくなる。本当に何も考えていないですし、表現についても、いろんな方が褒めてくださるけど、何でだろうと思ってしまう。でも、一つ言えるとしたら、本も読まないって言ってる人間に『ダ・ヴィンチ』で文章を書かせようとしている(いた)担当者が変わってるってことですね(笑)。

――(笑)。本書にも、各回に短いエッセイが付記されていて、どれもおもしろかったです。

中村:前作の『THE やんごとなき雑談』が各回(約)2000字だったのに対し、今作は文字数が決まっていなくて。雑炊のおともになるようなものを、つまりテーブルに置かれていても邪魔にならないような存在感で、というつもりで書いていたんです。金木犀の香りがふわっと漂うくらいの軽さがいいな、と。だから僕としてはものすごく気楽に、深く考えずに書くことができました。

――そんな、中村さんの文才を引き出した担当者の村井さんが異動になるということで、中村さんが最後に贈った言葉が胸に沁みました。〈僕は『人に恵まれてるね』って言葉はあんまり好きじゃなくて。人をつなぎとめたのは、その人の努力でしょ?って思うの〉。

中村:そんな真面目な話をしてましたか、僕(笑)。まあ、もっと言うと「おかげさまで」もあんまり好きじゃないんです。あなたの努力だろう、って思っちゃう。だから僕も、ネタ以外では言わない。結局自分次第だと思うから。

――でもそれは、人に感謝しないということとは違いますよね。

中村:違いますね。ただ、何事も〝必要以上〟は正確じゃないな、と思っているということです。たとえば謝るときに、必要以上に落ち込んだり、謝罪したりする人を見るのって、面倒くさいじゃないですか。「いやいや、そこまでじゃないから」「あぁ、こっちがフォローしなくちゃいけないのね」ってことになっちゃう。それと同じで、必要以上の謙遜も決して美徳ではないのではないか、と。正しく感謝して、正しく自分の努力を認めてあげられることが、大事なんじゃないかなと思っています。

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