中沢新一 40年越しの大作『精神の考古学』完成までの道程「吉本隆明さんとの合作という気持ちもある」

中沢新一インタビュー

■ゾクチェンの修行

ーーどのような修行をした時に、アフリカ的段階に迫るように感じましたか。 

中沢:いろんな段階で感じますが、まずゾクチェンの最初の修行のベースになるのが、土、水、火、風、空の五大元素との結びつきを瞑想することです。瞑想とは「ナルジョル」といって、一体になるということですね。五大元素と自分が一体化する精神状態を作っていくのがベースになる。仏教の場合は、修行の最初に自分の心の中に無限の慈悲の心を沸き立たせることがベースになる。ゾクチェンはもうそれはすましてきたからと、五大元素と一体化することから始めます。 

 その修行は非常に面白くて、滝の近くなどの水辺で水を眺める。あるいは、火をそばからじっと見つめる。それだけじゃ、最近のソロキャンプと変わらないじゃないかと思うかもしれませんが、土台が違うと全然違うんです。火を見つめながらベラベラ喋っていては駄目なんですよ(笑)。火の元素の動きを目から自分の中に入れて、そのまま身体を火の元素の動きに同化させていく。それを何日もやらないといけません。 

 次に禅のような修行があります。つまり、言葉の働きを停止してこの世をありのままに見る。「ありのまま」というとニューエイジみたいですが、心の土台となっている本性を直感するということです。禅宗の「無心」とも通ずるでしょう。心というのは無である。しかし、心は確かにある。そのおおもとの部分は、概念でも煩悩でも感情でもなく、無の心が湧き立っているわけです。禅宗の言い方では活潑潑地(かっぱつぱっち)と言います。魚がピチピチと跳ねるように、無の心が湧き立っていることを表しています。 

 例えば、庭の景色は視覚を通して、頭の中で合成されている。それを一度全部吹き飛ばす訓練をします。するとその景色を見ながら、純粋な無の心の沸き立ちを感知することができる。これがゾクチェンの第一段階です。そしてその上の段階では、非常に特別なヨーガのやり方をします。朝の太陽を見つめることで、自分の心の内面にある光を実際に見るというような修行をするんですね。 

ゾクチェン師匠・ケツン先生と中沢新一氏。

ーー本書の修行の中で特に印象に残ったのは、古くから秘密裡に伝わるという暗黒瞑想でした。一週間ものあいだ真っ暗な部屋に籠もり、心の内面から発する光を見つめるそうでした。実際に経験されていかがでしたか。 

中沢:これも仏教とはまた違う系列からきたアフリカ的段階の修行です。太陽の光を使う瞑想よりも「クール」ですね。最初は怖いのかなと思いましたが、全然怖くないんですよ。目の前に出現する光の流れがゴージャスで、全く飽きることはありませんでした。 

 本当は昼か夜かわからない小屋を作るのが理想的ですが、これは無理なんです。近所にネパール人の民家があって、そこにはニワトリがいて朝にコケコッコーと鳴く(笑)。夕方になると親父がラジオつけて歌謡曲を流す。流石にこちらは先生が手土産をもって、やめてもらうように頼みました(笑)。いずれにせよ、暗闇の中に七日間もいるわけですが、まったく飽きずにご飯を食べるのも惜しいほどでした。 

ーーそれが終わった後はどんな境地なのでしょう。 

中沢:ありとあらゆるものが、すっきりするような感じでした。小屋から出てきたとき、庭の地面に小さな穴が空いていて、トカゲの卵が朝の陽に照らされて輝いていた。その光を見てすごく感動しました。暗黒の中で見た光と、卵の中で動いている命は同じだということを心底、痛感しました。これが平等ということなんだと。 

ーーゾクチェンによって、自然のとらえ方にはどのような変化がありましたか。 

中沢:自然というものを非常に広く捉えています。物質元素も自然であるし、人間の心のおおもとである無の心も自然である。そして動物と自分は同じ心の本性を持っている。そこに区別はないという考え方が身につきました。つまり、すべてが平等である。ヨーロッパは「人間が」平等だというところで収まっているから駄目なんです。ありとあらゆる意識体が人間と一体である。平等の概念はそこまでいかないと駄目だろうと思います。 

ーー最初にネパールに行かれてから40年ほどが経過していますが、執筆にはそれほどの年月が必要でしたか。 

中沢:そうですね。僕はこう見えて、完全主義者なんですよ。特にこの本に関しては、完全にしないといけないと思っていました。1983年にネパールから帰国した時は頭の中はゾクチェン状態でしたが、日本ではニューアカデミズムのブームになってしまった。すぐにテクノカットにされて、テレビに出されたりして。これも修行だと思っていましたね。そんな軽薄な時代に、本当のことは書けないですから。すべて終わってから、自分が半ば忘れられはじめたときに、完璧なものを書きたいと思っていました。だから40年もかかったんじゃないかな。 

ーーニューアカ当時は軽薄な時代だったとお考えでしょうか。 

中沢:軽薄ですよ。それはあの時代が必要としたことでした。日本人がある意味で、変わらなくてはならない部分だった。70年代の左翼運動では若い人たちが物事を深刻に考えなければいけないという信仰のようなものが出来上がっていました。教条主義でないと相手を論破できない時代だった。それを叩き壊す必要がありました。それで僕と浅田くんが駆り出されたわけですね。どうしたらいいかなんて自分で考えるまでもなく、もう時代が回答を用意してくれていた。時代に乗らされたし、喜んで乗ったところもあるでしょう。とにかく何かを壊さなきゃいけないという使命感は持っていましたね。では、壊した後にどうするのか。それが僕にとっては、ゾクチェンだったわけです。


ーー本書を刊行された今の思いを教えてください。 

中沢:40年ごしで書き上げられたので、今はホッとしているんです。これを書かずに死んでしまったら、来世に生まれ変わらなきゃいけないと思っていましたが、もういいかなと(笑)。師匠のケツン先生や吉本さんに対しての積年の宿題を、やっと提出することができました。 

 「新潮」の編集者は軽い気持ちで連載を頼んだのかもしれません。僕は何をテーマにしようと考えたんですが、自分の『悲しき熱帯』を書いていないと思いました。レヴィ=ストロースは僕の中で非常に大きな存在だったんです。4月には『構造の奥』というレヴィ=ストロース論も刊行される予定です。僕にとっての『悲しき熱帯』は何なのかといえば、結局、ゾクチェンに行き着くんですね。思索、旅、冒険のすべてが結び合った本に仕上がったと思います。

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