中沢新一 40年越しの大作『精神の考古学』完成までの道程「吉本隆明さんとの合作という気持ちもある」

中沢新一インタビュー

■自分が学んできたことに対する違和感

 思想家・人類学者の中沢新一氏がチベットで古代から秘密裡に伝えられてきた精神の教え・ゾクチェンを論じた『精神の考古学』(新潮社)。ニューアカデミズムを代表する一冊『チベットのモーツァルト』から40年以上の時を経た今、人類の心の「普遍的構造」を探求した集大成作品となっている。中沢氏の関心は、意識と無意識のさらに奥にある「精神そのもの」にあった。「精神の考古学」とは一体どんな試みなのか、中沢氏にインタビューした。(篠原諄也) 

ーー本書は『チベットのモーツァルト』(1983年)刊行前に、ネパールに渡った話から始まります。 

中沢:僕がネパールを訪れたのは29歳の頃でした。今のようなインターネットはありませんが、その原型のようなものが作られていた時代です。 

 当時、自分が学んできたことに対して違和感を持っていたんです。明治期以降、日本人は西欧と直面し、その哲学を取り入れていて、僕自身その延長で勉強をしていたことがわかっていました。それから日本は資本主義の爛熟期に本格的に入っていた。社会にあふれるおびただしい象徴や記号に、全身で漬かりきっていることに気づいていました。 

 だからそんな世界を席巻している西欧的なものの考え方の枠を出て、まったく違う考え方や感受性を知っておかないといけないと思いました。20代終わりの頃、自分にとって危機だったんでしょうね。周りを振り切るようにして、無理をしてネパールまで出かけていきました。 

中沢新一氏。中央チベット、シャ寺の古代石碑の前で。

ーーそれからチベット人の先生の元で修行されたそうですね。『チベットのモーツァルト』文庫版解説で吉本隆明さんが中沢さんの探究を「精神の考古学」と表現しています。これはどういう試みなのでしょう。 

中沢:まず、なぜ考古学なのか。1970年代は僕の青春時代で知的なものを形成する時期でした。そこに「考古学」という言葉が非常に新鮮な響きで登場しました。ミシェル・フーコーの『知の考古学』という本が出現して、ヨーロッパ思想の全体構造を、考古学の視点で分析しようとしたんです。今の世界の表面に出てこない、地下に埋もれているものを掘り出していく学問の形態でした。その「考古学」という言葉は神話のような響きを持っていて、僕は非常に惹かれていました。 

 吉本さんの『チベットのモーツァルト』文庫版解説は大変素晴らしい文章でしたが、僕の探求は「精神の考古学」ではないかというんですね。吉本さんは僕のことを「大将」と呼ぶんですが、「大将がやっている学問は『知の考古学』だけじゃなく、もっと広く『精神』というものを考古学で探究しているんじゃないか」と折に触れて話していました。 

 「精神」という言葉は複雑な含みがあって、非常に問題もあると考えています。『精神現象学』を書いたヘーゲルは、そこで人間の心を「精神」と呼びました。素晴らしい本なんですが、何か重大な欠陥がある。何かないものがあるんですね。そこでの「精神」は、僕らがいわゆる心と呼んでいるものの以後に複雑に作られたものなんです。心を出発点として据えて、その上に巨大な建築物のような思想を作り上げてきた。しかし、僕はそれを突破する考古学はないだろうかと思いました。 

 東洋の考えでは、心の本性にはたどり着いていないという考え方があって、いわば心の奥があるわけです。その心のおおもとになっているものをつかみ出すというのが、東洋思想の基本的な考え方です。それはいろいろな表現がされてきました。例えば、禅宗では一番の探求の目標として、無心などの無の心として表現する。あるいは、仏陀が悟っている状態について、仏性と呼んだりしている。それらはどれも、ヘーゲルの「精神」より以前のものです。しかし、現実に僕らが今生きている心自体のおおもとにもなっている。 

 今考えてみると、吉本さんも『心的現象論』などの探求をされていましたが、結局は同じところを目指していたんじゃないかと思います。僕は吉本さんよりもだいぶ後の世代だったので、海外に出かけて実際に出合うルートがあった。僕がそれで突き破って、吉本さんが作り上げようとしていたものを、完成に向けていきたいという思いがありました。そういう意味では、今作は吉本さんとの共作・合作だという気持ちも込めています。 

■吉本隆明との出会い

ーー本の中ではそうした心について、アフリカ的段階、アジア的段階という区分けで論じられています。これはどういうものですか。 

中沢:アフリカ的段階は、今話したように昔の人が心のおおもとを、仏性や無心という言葉で捉えようとしていたものです。アジア的段階はその上に作られる。新石器革命で農業開始以後、国家が作られるようになってからの話です。そこでは価値と意味の二領域で組織的な増殖が行われます。今の資本主義社会はアジア的段階を土台にしている。日本でいえば、縄文時代がアフリカ的段階で、古墳時代から後がアジア的段階になっていきます。 

ーーアフリカ的段階にある「心の奥」を探る上で、東洋思想に着目されます。その中で、チベットに古くから伝わる教え・ゾクチェンとはどのようなものなのでしょうか。 

中沢:実践するチベット人からすると、仏教でありながら、仏教を突破した上のものだと捉えられています。実際、僕もゾクチェンをやってみると、仏教によって徐々に高まりながら、最後のところは仏教ではとても収まりがつかないものであると感じます。(仏教開祖の)お釈迦さま(ゴータマブッダ)はどうかわかりませんが、その後に作られた仏教には限界がある。仏教の哲学は知識の体系としてものすごく発達してきました。それがいわば、自分の限界を作り上げる屋根のようになってしまっている。その屋根を突破しないと、仏教は未来の知性にはたどり着かないと思いました。 

 吉本さんも同じように限界を感じていたようです。そこで吉本さんは親鸞に着目します。親鸞は仏教を捨てて壊した上で、そこから出てくるものについて考えようとしていた。吉本さんは日本の中から突破口を探していましたから、親鸞に焦点を合わせて仏教を解体していく。しかし、僕はその親鸞にもちょっと物足りないものを感じていました。 

 僕が吉本さんに最初に会ったのはネパールから一時帰国した時で、まだニューアカデミズム時代のはるか以前でした。ある知人が僕を吉本さんのところに連れて行ったんです。「彼はチベット人の元で修行をしているが、吉本さんは一切の修行はいらないと言っている」「喧嘩させたら面白いだろう」という狙いだったようですが、実際に会って話をしたら案の定、喧嘩になったわけです(笑)。吉本さんは最初に「私どもは精神的・身体的な修行など認めないんです」と言い出すんですね。「こんちくしょう」と思ってね(笑)。「私どもの『ども』とは誰ですか」「吉本さん一人でしょう」なんて言って。それで言い争いになって、物別れになりました。でも吉本さんはその後も、ゾクチェンは仏教の修行と何が違うのだろうと関心を持っていたようです。今回の本ではその全容を初めて書きました。だから吉本さんに読んでもらえないのは残念ですね。 

ーーその後にお会いした時にお話もされていなかったんですか。 

中沢:僕も気を遣ってそのことは話題にしないようにしていたから(笑)。ただゾクチェンがどうも仏教とは違うらしいとは、気がついていたようです。実際、やってみると違いがわかります。 

 チベットのゾクチェンパ(行者)たちは、仏教を突き詰めていくとゾクチェンになると考えていますが、僕はもっと違う系列から来ていると考えています。仏教以前の考え方や身体的・精神的な修行のやり方があって、それが仏教の中に入り込んだのではないか。仏教は水の漏れる隙間もないほどものすごく緻密に作られましたが、その中を通過していって上のところから噴き出しているのがゾクチェンである。そんな図を想像しました。つまり、アフリカ的段階の知性なんです。仏教はアジア的段階の精神の中から生まれている。ゾクチェンはチベットに古くから伝わる土着宗教的なボン教と仏教的なニンマ派の二つだけが継承しています。アフリカ的段階の知性をものすごく洗練したものが、ゾクチェンの中で早い時期から実現されていたと考えています。

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