75歳で絵本作家デビュー! 限界集落の奇跡を描く絵本『はるさんと1000本のさくら』インタビュー

75歳、新人絵本作家インタビュー
ただのぶこ『はるさんと1000本のさくら』(中央公論新社)

 「書店員が選ぶ絵本新人賞」で第1回の大賞に選ばれた作品「はるさんのユートピア」が、『はるさんと1000本のさくら』と改題して11月10日に中央公論新社より刊行された。

 『はるさんと1000本のさくら』は、限界集落となった里山を理想の村にしようと奮闘するおばあさんたちの姿と、その後、里山に訪れる奇跡を優しい絵柄で描いた作品だ。日本社会の問題を提示しながらも希望を感じられる作風が書店員たちに高く評価され、発売前に重版が決定するなど話題となっている。

 本作を描いたのは、大分県生まれの75歳、ただのぶこさん。小学校教員を退職した後、絵本制作に取り組んできたただのぶこさんにとって、本作がデビュー作となる。現在の心境と、絵本制作の背景について話を聞いた。(編集部)

読んだ人の中にも何かが受け継がれていってくれたら嬉しい

ーー絵本作家デビューおめでとうございます。

ただのぶこ(以下ただ):ありがとうございます。まだ、実感がなくて。授賞式にも参加させていただいたんですけど、毎日、何が起きてるの?って。ずっと、趣味で描いていて、新人賞に応募していたのも、〆切があったほうが描く、というだけで、作家になろうなんて考えたこともなかったものですから。

ーー〈あと10人。わたしは86さい。はるさんはかんがえます。〉という文章から始まる、『はるさんと1000本のさくら』。はるさんが最年少の山村で、10人のおばあさんたちが桜を植えて、村おこしをしようとする物語です。どんなふうに、思いついたんでしょう。

ただ:最初にその文章が絵と一緒に浮かんできて、それからバーッと、勢いで描きました。この人ならどうするかな、こうしたら次は何が起きるかな、と考えながら。いろんな方に「構成がすごい」とほめていただくんですけど、計算していたわけじゃなく、思い浮かんだ情景をせっせと描いていただけだから、そうなんだあ、とびっくりしています(笑)。

ーー1000本の苗木を植えるおばあさんたちが、一人、二人と亡くなっていき、最後にははるさんも亡くなってしまう。でも時がたって、山奥に見事な千本桜が咲き誇り……というところまでは想像がつくのですが、その後の展開が「まさか」でした。

ただ:吉野の千本桜をご覧になったことはありますか? もうね、すごいんですよ。山が桜色に染まって、見事としか言いようのない美しさなんですが、過去に誰かが植えたから、今、私たちはその情景を目にすることができているわけですよね。私は六甲山の裏側に住んでいるものですから、畑や田んぼで毎日、懸命に働いているおばあさんたちを見かけるんです。あの千本桜を成したのが、ああいうおばあさんたちだったらおもしろいなあ、と思って。みなさん、おばあさんと言うと、か弱くて、助けが必要な人たちばかりだと思っているでしょう?

ーーそうですね。でも、とくに山村で暮らすおばあさんたちは、足腰が丈夫で、へたな若者よりずっと体力があって、たくましいですよね。自分たちの今をちゃんと生きているというか。

ただ:そうなんです。いずれ命が終わる日がくるのだとしても、これまで自分たちがしてきたことを、コツコツとやり続けることができているならばそれでいい、と今を生きている感じ。そういう彼女たちの姿を見るのが、私はとても好きで。

ーーそれで、冒頭の文章が。

ただ:はい。ふっと浮かびました。だから、一人だけ残ったはるさんが、ピンク色の長ぐつを履いて、苗を抱えている絵が、私はとても好きです。最後の一人になっても、悲観することなく、こつこつと植え続けたんだろうなあ、って。

『はるさんと1000本のさくら』より

ーーその「悲観することのなさ」がすばらしくて。どうしても、自分が今やってることの結果を、求めてしまうじゃないですか。なかなか形にならないと、こんなことになんの意味があるんだろうと思ったりもする。でも、そうじゃないんだ、今自分が積み重ねていることは、些細なことでも未来に繋がっていく可能性があるんだ……と感じることができて。

ただ:ありがとうございます。読んでくださったご近所の奥さんとか、涙が出たって言ってくれる人がけっこういたので、大人のほうが、そういうものを感じとってくれるのかもしれませんね。私としては、これもまた「そうなんだあ」って感じなんですけど(笑)。ただ、授賞式でも「何かが繋がって、誰かに受け継がれていく物語ですね」と言っていただけたのは嬉しくて、読んだ人の中にも何かが受け継がれていってくれたら嬉しいなあ、と思っています。

きっかけは娘のために描いた絵本

ーーたださんご自身のこともうかがっていいでしょうか。小学校の先生をされていたんですよね。

ただ:大阪の大学を卒業して、七年間、市内で小学校の教員をしていました。でも結婚して、子どもができたので、一度、退職したんですよね。当時は、モーレツ社員なんて言葉がはやった時代で、主人もずーっと働いていたから、子育てに関しては戦力外で。

ーーいわゆるワンオペで。

ただ:頑張っていました。でも、娘が大学に入って家を出て、二つ下の息子も高校では部活に夢中で、親のことなんて構っていられず。みんなそれぞれ自分の居場所をつくって頑張っているなか、私は家のなかで一人、家事をするだけ。なんだか取り残されたような気持ちになっていたところに、臨時職員のお誘いを受けて、やってみることにしたんです。登録してしばらくして小学校のお仕事を紹介されて、十年つとめました。

ーー絵本はいつごろから描き始めたのでしょう。

ただ:最初のきっかけは娘だったと思います。言葉を覚え始めのころ、「読んで」ってうまく言えないから「のんで」って毎晩、絵本を抱えてやってきて。やらなきゃいけないことはたくさんあるし、眠たいし、ほんまにもうしょうがないなあ、なんて思いながら読み聞かせをしているうちに、絵本っていいな、と思うようになったんですね。で、娘を主人公にした絵本を描いてみたんです。もともと、絵を描くのは好きだったものですから。

ーーどんなお話だったんですか?

ただ:娘が誕生日にポラロイドカメラを買ってもらいましてね、みんなを撮ってまわっていたんです。パパが連れて行ってくれた動物園でも動物をパシャパシャ撮るんですが、その写真を動物たちにあげてきちゃう。動物たちは、撮られるのには慣れているけど、写っているのを見たことはないから、興味津々で夜通し自分たちの写真を見て、自慢しあうわけです。そのせいで、朝になっても起きられなくて、園中の動物が眠っているから、係の人がびっくりしちゃって、お医者さんを呼んできたけど原因がわからない。わからないから、よい子のみなさんごめんなさい、今日は動物園はお休みです、そして娘も昼すぎまで寝ていました、っていう。

ーー初めてとは思えない完成度、っていうか、二冊目にぜひ描いてほしいくらいなんですが。

ただ:普通の画用紙に絵の具で描いて、ノリでべたべた貼った、我流の絵本だったんですが、娘は喜んでいましたね。あとは、読み聞かせるものがなくなったときに、オリジナルのお話を勝手につくって聞かせたりしていたんですが、息子が生まれててんやわんやで、すっかりやらなくなりました。

ーーその発想力はどこから生まれたのでしょう。

ただ:本を読むのは好きでしたねえ。小さい頃はマンガばかりでしたが、中学のときにパール・バックの『大地』を読んで、小説ってこんなにおもしろいんや、と衝撃を受けて。スタインベックの『怒りの葡萄』やドストエフスキーの『罪と罰』など、寄贈された海外文学の文庫がたくさんあったので、片っ端から読みました。でも、小説を書いてみようとは、思わなかったな。

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