ライトノベルの「勇者」に変化? 『誰が勇者を殺したか』『葬送のフリーレン』が示す新たな勇者像
ありがちではない勇者像という意味で、山田鐘人原案・原作、アベツカサによる漫画『葬送のフリーレン』(小学館)に登場するヒンメルも、少し変わった勇者としての存在感を漂わせる。彼もアレスと同じように魔王を倒したパーティの一員だが、あまり最強といったイメージがない。千年を生きた魔法使いのフリーレンはもとより、パワーでは戦士アイゼン、治癒などの能力でも僧侶ハイターに及ばない、ただの優男にしか見えない。
それでも漫画の読者や、TVアニメ『葬送のフリーレン』を観ている人はヒンメルを勇者だと思う。ヒンメルこそが勇者だと感じる。アウラを退散させるくらいの活躍を見せたことも理由のひとつだろう。ヒンメルが行く先々で困っている人たちを助けて回り、尊敬されて各地に銅像が作られたこともありそうだ。
ただ、それよりもやはり、あのフリーレンが忘れられない存在として意識し続けていることの方に、勇者としての核のようなものがあるような気がしてならない。人間の常識から外れた言動を取りがちなフリーレンを仲間として大切に扱い、導くことによってその中に強くその存在感を残した。1000年の間にそのような人間などいなかったのだから、ヒンメルがどれだけすごいかが分かる。
そもそも、『葬送のフリーレン』という物語自体が、ヒンメルを"主人公"としたもののような気がする。フリーレンが旅を始めたのは、ヒンメルにもう一度会って声を聞きたいと考えたからだ。『葬送のフリーレン』というタイトルも、アウラを相手にした時に明かされたふたつ名としてだけではなく、ヒンメルの軌跡をたどる"葬送”の旅を描いたものだといったことも感じさせる。YOASOBIによるTVアニメの主題歌が「勇者」となっていること自体が、物語の中にあるそうした意図をくみ取ったからだろう。
先頭に立って魔王に向かい、剣を振るう姿を直接見せなくても良い。剛健を振るうような筋肉質の体躯だったり、運命に挑むような悲壮な表情を見せいたりしなくても構わない。歳を取って老いぼれた姿になってしまっても大丈夫。世界から必要とされていたことが銅像によって語り継がれ、あのフリーレンによって記憶され続ける存在だという状況が、ヒンメルこそが勇者なのだったと思わせてくれる。新しい勇者像を示すともに、そんな勇者を表現する方法でも、『葬送のフリーレン』はユニークな作品だ。
見渡せば、TVアニメのSeason3が放送中のアネコユサギ『盾の勇者の成り上がり』(MFブックス)に登場する岩谷尚文は、盾で守ることしかできないにも関わらず、仲間を巧みに使うことで攻撃力を持つようになって、世界を脅かす敵と戦っている。七尾ナナキの漫画で7月にTVアニメ化された『Helck』に登場するヘルクは、勇者として魔王と倒しながらも、その魔王となって人間を滅ぼそうと言い出す。枠にハマらない勇者たちが活躍し、心を捉える時代の中で、どのような勇者が登場してくるかが気になるところだ。