『ゴブリンスレイヤー』が教えてくれる“本当の強さ” 異色の冒険者の生き様を考察

『ゴブリンスレイヤー』の面白さ

 冒険者になりたいという夢を抱いて突き進むことは自由だ。ただ、どれくらい強ければ冒険者として戦っていけるのかは、自分ではなかなか分からない。力を過信すれば破滅するし、過小評価のままではいつまでも浮き上がれない。そんな迷える冒険者がまず見るべき存在が、蝸牛くも『ゴブリンスレイヤー』シリーズの主人公としてゴブリンだけを殺し続けるゴブリンスレイヤーだ。彼の行動や思考には、冒険者の戦い方や人の生き方の基準がすべて詰まっている。

 10月6日から放送が始まったTVアニメ『ゴブリンスレイヤーⅡ』には、眼鏡をかけた魔術師の少年が登場して、初対面のゴブリンスレイヤーや周囲の冒険者たちに尊大な態度をとり続ける。まだ1匹だってゴブリンを倒したことがないのに、簡単に倒せるかのように言って、ゴブリンしか相手にしないゴブリンスレイヤーを見下す。ゴブリンスレイヤーと一緒に冒険をする女神官のことも、困った時はカミサマと唱えて震えているだけだとバカにする。

 過剰な自信は血気盛んな若者にはありがちで、ゴブリンスレイヤーも周囲にいる冒険者たちも憤ることはなく、それならゴブリンを退治してみせろと少年魔術師をけしかける。分かった、やってやると勇んで飛び込んだゴブリン退治の現場で経験不足を露呈した少年魔術師が、どうしてそこまでゴブリン退治に意気盛んだったかが明らかになって、根拠のない自信や激情に流される行動の怖さが、改めて浮かび上がってくる。

 そこでもしも、ゴブリンスレイヤーのように用意周到だったら、少年魔術師を襲った状況も彼をそうした激情に駆り立てたある悲劇は避けられたかもしれない。ゴブリンを退治するという目的があり、そのために武器や装備をしっかりと準備し、戦い方も考えて訓練も怠らないといったストイックさを貫くことで、ゴブリンスレイヤーは在野では最高の銀等級まで上り詰めた。

 そんなゴブリンスレイヤーの生き方は、はっきり言って楽しくない。ロマンティックな生き方に憧れて冒険者になるような者は、目的のためにすべてを犠牲にするだけの覚悟を持てない。けれども、ひとつの基準としてゴブリンスレイヤーの生き方を捉えることで、何をどのように加えれば自分らしい戦い方であり生き方ができるのかを、見つけることができる。

 ゴブリンスレイヤーに救われ、いっしょに冒険するようになった女神官は、戦士のようにように剣を振るえる訳ではない。それでも、どこから襲ってくるか分からないゴブリンを相手に油断をせず、不意打ちを受ける事態には至らないように気をつけるようになる。ゴブリンスレイヤーを「オルグボルグ」と呼んで共に戦うこともする妖精弓手は、鏃(やじり)が命中した相手の体内に残るような仕掛けを施した矢を射るようになる。同じ妖精から批判を浴びるけれど、それが生き残る確率を上げるからと実行する。

 はなっから小馬鹿にするのは論外だけど、すべてを真似る必要もない。ゴブリンスレイヤーを「かみきり丸」と呼ぶ精霊使いの鉱人道士も、「小鬼殺し殿」と呼ぶ神官戦士の蜥蜴僧侶も、それぞれに自分の戦い方を貫いてはいる。だからといってゴブリンスレイヤーを見下さないのは、用意周到であらゆる可能性をすべて潰して行動するスタンスに、冒険者として見習うべきところがあると感じているからだろう。

 とはいえ、幼なじみの牛飼い娘が暮らす牧場の納屋に寝泊まりして、休日に遊びにいくこともせず、ゴブリン以外を基本的には相手にしないゴブリンスレイヤーに物足りなさを覚えていることも事実だ。貸しを作って自分たちの戦いに引っ張り出そうとするあたりに、実力に対して行動があまりに自分規準に忠実過ぎるゴブリンスレイヤーのギャップを埋めてあげたいといった思いが感じとれる。

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