『ゴブリンスレイヤー』が教えてくれる“本当の強さ” 異色の冒険者の生き様を考察

『ゴブリンスレイヤー』の面白さ

 このギャップに対する意識は同時に、シリーズを読む人にとってもある種の“ギャップ萌え”を覚えさせて、シリーズのファンにさせている。幕間のようにつづられる世界レベルの敵を相手にした白金等級の勇者による戦いに、ゴブリンとしか戦わないゴブリンスレイヤーの小さな戦いが影響を及ぼしているような描写も、ゴブリンスレイヤーの存在価値を高めて憧れを抱かせる。

 さまざまな冒険者の実力を推し量る指標であり、同時に誰よりも強い可能性も持った二重性が、キャラクターへの興味を呼び起こしてその行く末を見極めたいと思わせる。それが、『ゴブリンスレイヤー』の物語を追い続ける動機にあると言えそうだ。

 そんな『ゴブリンスレイヤー』を読む時に、迷うのがゴブリンスレイヤーのゴブリンに対する徹底して殺戮し、殲滅するスタンスだ。向かってくるゴブリンを倒すだけに留まらず、巣の奥にいる子供のゴブリンも決して見逃さない。かわいそうだといった感情論はもとより、危険性は低いといった現実論に流されることもない。

 今は安全でも、やがて成長したゴブリンは、必ず人間に対して害を為す存在になる。だから今のうちに殺しておく。筋はしっかりと通っている。それでも何か、対話なり共存の道はないのかと探りたくなるのが人間だ。言葉は通じなくても、何か意思疎通がはかれそうならそれに賭けたくなる。

 不可能だとしても、生物として絶滅させて良いのかといった倫理観にもとらわれる。ゴブリンスレイヤーはそうした思考の一切を否定する。人間にとって正しいゴブリンは、死んでいるゴブリンだけだといったスタンスを崩さない。現実世界では抱くことすら批判を浴びそうな思考実験に、触れさせてくれる物語だと言える。

 TVアニメ『葬送のフリーレン』でも、七崩賢と呼ばれる幹部クラスの大魔族の一人で、かつてフリーレンと戦った断頭台のアウラの配下と出会ったフリーレンが、問答無用で排除しようとする。ゴブリンと違って知性があって言葉が通じて意思疎通もはかれそうに見えても、根本的な部分で相容れないことをフリーレンは知っていて、いずれ人間に害を為すと確信しているからだ。

 絶滅に追い込んだ動植物は数知れず。同じ人間ですら言葉が違う、宗教が違う、身分が違うといった理由で殺し合い、絶滅へと持って行こうとした人類につきまとう反省と贖罪の意識が、フリーレンの魔族に対する行動や、ゴブリンステイヤーのゴブリンに対する態度に違和感を覚えさせる。魔族だから、ゴブリンだから殲滅して良いという態度が、現実世界に影響を与えるようなことはあってはならない。

 ここでも、ゴブリンスレイヤーの存在は規準になる。彼がゴブリンを殲滅し続ける理由を突き詰めて考える、その特殊性を強く理解することで、現実世界におけるあらゆる存在との対話し、共存する道を探る必要があることを、誰もが改めて心に刻み込むことができるのだ。

 本当の強さとは何かを教えてくれる。そして、避けなければならない生き方も同時に見せてくれる。『ゴブリンスレイヤー』とはそんな作品だ。

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