川村元気 × 水野良樹「言葉、物語、対話」への向き合い方 「自分というものは常に誰かとの関係性でできあがっている」
現在公開中の映画『怪物』などのプロデュースで知られる川村元気が、翻訳を担当したアート絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』(チャーリー・マッケジー 著/飛鳥新社)は、世界800万部、日本版も24万部を突破するなど、世界中で愛されている作品だ。同作は2022年にアニメ化され、2023年・第95回アカデミー賞で短編アニメーション賞を受賞。5月27日には、アニメ版の絵をもとにした書籍『ぼく モグラ キツネ 馬 アニメーション・ストーリー』(飛鳥新社)も刊行されている。
少年とモグラ、キツネ、馬の冒険と心の交流を美しいイラストとともに描いたアート絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』には、川村元気のプロデュース哲学に通じるものがあるという。本作が世界中の人々の心に響いたのは、いったいなぜか。リアルサウンド ブックでは、いきものがかりのリーダーで、多数のヒット曲を手がけている水野良樹と川村元気の対談を企画。『ぼく モグラ キツネ 馬』のメッセージ性や表現、それぞれのプロデュース論など、さまざまな角度から話し合ってもらった。(編集部)
「絵」と「言葉」と「物語」が、ギリギリのバランスで成立している作品
――今日は、川村さんが日本版の翻訳を担当された絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』について、ミュージシャンであり、近年は「清志まれ」名義で小説も執筆されている水野さんと共に、語り合っていただけたらと思っています。まず、そもそも川村さんが、この作品の翻訳を担当することになった経緯から、簡単に教えていただけますか?
川村:僕は、2021年に出版されたこの『ぼく モグラ キツネ馬』で、初めて絵本の翻訳の仕事をしたんですけど、実は同じ編集者の方に、10年ぐらい前から何回か翻訳の依頼をいただいていて。けれども自信がないこともあって、なかなかお受けできなかったんです。
――そうだったんですね。
川村:翻訳のプロではないので、なぜその本を僕が翻訳するのか、理由が欲しかったんだと思います。ただ、この『ぼく モグラ キツネ 馬』を読んだときに、面白く訳せそうな気がした。「絵」と「言葉」と「物語」が、ギリギリのバランスで成立している作品だなって思ったんです。僕は常日頃、「映像」と「音楽」と「台詞」のバランスを考えながら、映画を作っている。この本の「絵」を邪魔せずに、「物語」を壊さずに、でも「言葉」の魅力はしっかり伝えるギリギリのバランスを狙う翻訳ならば、自分にできるのではないかと。それで、お受けしました。
――出版時に川村さん自身が「すべての人生に寄り添う言葉」というコメントを寄せられていたように、この作品は、絵の美しさもさることながら、やはり劇中で交わされる「言葉」の数々に、大きな魅力があるように思います。水野さんは、この作品を読んで、どんな感想を持ちましたか?
水野:僕は今回、初めてこの作品を読ませていただいたんですけど、今、おっしゃられたように、ある意味「言葉」の作品ではあると思うんですけど、日本版でも敢えて手書きの文字で言葉が書かれているように、「書く」よりも「描く」っていう感じがピッタリくる話だなって思いました。まるで、絵を眺めるように言葉が入ってくるというか、そういうちょっと不思議な感じがある絵本だなって思って。あと、この絵本の中に出てくる「言葉」は、世の中の人たちが今ほしいような「言葉」を、すごく柔らかく言ってくれているんだろうなっていうのは、ちょっと思っていて。たとえば、「多様性を認め合う」みたいなことって、単純に言葉にすると、すごく平坦な感じになってしまうけど、この絵本のような感じで描かれていたら、スッと入ってくるようなところがあって。そこがいいなって思いました。
――ちなみに水野さんは、本作のどんな言葉が印象に残りましたか?
水野:モグラのセリフで、「ほとんどすべてのことは内がわでおこるのに、オイラたちには外がわしかみえないのって、おかしくないか?」っていうくだりがあるじゃないですか。あれって結構、真理だと思うんですよね。それこそ人間は、自分の内面すらわかっているようでわかってないところがあるというか、自分というものは、常に他者の視点によって形作られていくんですよね。だからこの作品は、わかり合うとか、単純に同調しようという話ではなく、どう他者といるかっていうことが、ずっとテーマになっているように感じて。そこが、年齢や性別、国籍にかかわらず、今を生きる人たちの心に響いたのかなって思いました。
――実際この本は、イギリス、アメリカで100万部を超えるなど、大ヒットを記録しました。川村さんは、この作品に登場する「言葉」について、どんなふうに感じましたか?
川村:『星の王子さま』や『くまのプーさん』など、往年の名作に近い雰囲気を感じました。単なる絵本ではないし、小説でもないし、アート本でもないんだけど、そのどれでもあるような。だからこそ、世界中の人が惹かれたと思うんですけど……という流れの中で、こんなことを言うのも申し訳ないんですけど(笑)、僕は最近、「言葉」って邪魔だなって思っているようなところがあって。実は今、次の小説を書いているんですけど、それは馬の話なんですよ。ホント、偶然なんですけど。それで、何で自分が馬に惹かれたかっていうと、それは言葉のない相手だからなんですよね。
――この話は、どこへ向かっているのでしょう……。
川村:すみません、ちゃんと話を戻しますから(笑)。何て言うのかな……今って人類史上、最も言葉を使っている時代ですよね。スマートフォンやインターネットのおかげというか、間違いなくそれらのせいだと思うんですけど、こんなに日々テキストを使ってコミュニケーションしている時代は、人類史上なかった。ただ、その一方で、人間同士が、人類史上、最も仲が悪い時代だとも思っていて。
――昨今のSNSなどを見ると、確かにそんなふうに感じますよね。
川村:この矛盾をどう説明するかというのが、僕の最近のテーマなんです。言葉が増えていけばいくほど、人間同士が仲悪くなっていくのは、なぜなんだろうっていう。言葉というのは本来、人間同士が仲良くなったり、意思疎通するために発明されたものなのに、今はそれがまるで「武器」のようになっている。それと関係しているのか、僕のまわりというか、まあ僕自身もそうだけど、猫とか犬とか、あるいは馬とか、言語がない存在とのコミュニケーションにすごく深いものを感じるようになっている。そういう気分を僕は今、すごく感じているんですよね。
――なるほど。今の話、水野さんは、いかがですか?
水野:僕も犬を飼っていたりするので、動物との会話みたいなものについてはすごく考えるというか、恐らくコミュニケーションが結べているだろうなって感じる瞬間は何度もあるし、言葉なんていらないみたいなこともすごく思うんですけど、その一方で、動物と会話していると、自分の中で会話がループしていくというか、いつの間にか自分と対話しているような感じになる瞬間があるなって思っていて。この作品を読んでいるときも思ったんですけれど、人間が相手だと、自分が考えていることと相手が考えていることが必ずズレていくというか、どうしても受け入れがたいときがあるじゃないですか。それで苦しい気持ちになったりもする。だけど、動物が相手だと、なんとなく受け入れることができるというか、そういうふうに他者と出会えるような感じがしていて……。
川村:そうですよね。夏目漱石の『吾輩は猫である』がすごく好きなんですけど、それと近い感じがあるというか、あの小説は、猫の一人語りだけど、本当に猫がそう思っているのか、猫がそう考えていると人間が思い込んでいるのか、ちょっとわからないところがある。だけど、それによって人間の愚かさとかかわいらしさみたいなものが、素直に感じられるという。それと同じように、この作品も、動物に人間の本質を語られるというのが、すごくいいなと思ったんです。