「わし」「じゃ」と話す“博士ことば”のルーツは? 「役割語」で知るキャラクターの歴史
標準語を使うヒーローに感情移入する作品の受け手は、非標準語の登場人物に対しステレオタイプによる認識だけで済ませて構わない。その特権的な立場を念頭に、役割語の出てくる作品を楽しんでいた過去の自分を振り返ってみる。すると、他者を分類することの危うさに鈍感だったことに思い至る。
冒頭に挙げた「お嬢様ことば」や「アルヨことば」といった役割語が、昔から存在するものだから使用して問題ないとは限らない。本書でそれぞれの成立過程を追っていくと、社会における男女の役割や日中関係の変化が顧みられずに、ステレオタイプの刷り込みだけ行われてきたことに気づかされる。役割語は特徴的でわかりやすく、使い手のイメージを瞬時に伝達できる。故にキャラ付けされた属性の人々の境遇や気持ちについて、受け手が深く知ろうという考えにはなりにくい。それが偏見や差別を覆い隠したり、日本語を貧しくする一面もあるのだと著者は警告する。
本書によると役割語は、自分を人にどう見せたいかによって使い分ける、日常生活における「仮面(ペルソナ)=個性」として機能する一面もあるという。今後見過ごせないステレオタイプ的な表現を前にした時、正義の味方として? 批評家として? どんな役割を背負いどんな言葉を使って、作者や世間に対して声を上げようか。役割語の謎に触れた後は、作品の受け手としての自分のペルソナについても考えてみたくなる。