「わし」「じゃ」と話す“博士ことば”のルーツは? 「役割語」で知るキャラクターの歴史
〈まったくどなたもカンにさわることばかりなさるわね‼︎〉(山本鈴美香「エースをねらえ!②」)なんて言葉づかいをする、高貴なイメージの「お嬢様ことば」。〈隊長たいへんあるよ/日本軍がきたある〉(前谷惟光「ロボット三等兵」)と、いちいち「ある」を付ける、どこか胡散臭いイメージの「アルヨことば」。こんな言葉を使う人に会ったことありますか?
著者で日本語学者の金水敏はこうした〈特定のキャラクターと結びついた、特徴ある言葉づかい〉を「役割語」と定義。実際に使う人はいないのに存在しているヴァーチャルな日本語がどうして生まれたのかを、本書『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波現代文庫)で解き明かしていく。
〈親じゃと?わしはアトムの親がわりになっとるわい!〉(手塚治虫「鉄腕アトム①」)。「わし」と称したり、「じゃ」と断定する「博士語」を使う白髪の博士は、漫画で多く出てくるという。元々2003年に刊行され今年5月16日に文庫版が発売となった本書だが、例として挙げられる作品は青山剛昌「名探偵コナン」をはじめ今もお馴染みのものがほとんどで、説として古びてはいない。
著者は『鉄腕アトム』のお茶の水博士を生んだ漫画界の巨匠・手塚治虫に焦点を当て、この博士語の生まれた経緯を考察する。手塚治虫が愛読した日本SFの祖・海野十三の小説や昭和の少年雑誌、どちらにも博士語的な言い回しをするキャラクターは存在する。さらにこれらの作品・媒体のルーツをたどっていくと、江戸時代の歌舞伎作品に博士語の原型を見出すことができる。博士に博士語を使わせるというアイデアは、突然閃いたわけではない。作者が物知りなキャラクターを登場させたい時に、子供の頃読んだ作品の役割語を流用する。その人の作った作品を読んだ子供が大人になって作り手となり、博士キャラを使いたい時に……。そんなサイクルが時代を超えて続いてきた結果なのだ。
一方で主役となるヒーロー(ここではヒロインも概念の中に含まれる)は、役割語として標準語を使うことが多い。その理由を知るためにもまた、歴史をたどる必要がある。
標準語が生まれたのは、明治時代のこと。さまざまな分野で近代化を進める日本では、効率的に情報伝達できて威厳も備えた標準語の確立が必要とされていた。そして江戸〜東京で使われている東京語こそ標準語に相応しいという認識が、知識人たちの間で共有され、コンテンツと学校教育の両方で東京語=標準語使用の推進が図られる。たとえば小説においては、東京を舞台にした東京の言葉を話す人物の出てくる作品が書かれ、全国の人々がそれを読むことになる。ここで標準語の主人公に慣れる訓練が読者に施されて、東京語=標準語=ヒーロー語という図式は日本中で定着。非標準語の登場人物は、関西弁を喋る=冗談好き・ケチ・恐いなどと記号化され、脇役に押しやられていく。