ワインバー店主・林伸次の人気連載が一冊に 人生がほんの少し楽しくなる「人間関係」の処方箋
延べ15万人もの人々の話に耳を傾けてきたバーのマスターが、誰もが抱える悩みにやさしく答えるエッセイ集『結局、人の悩みは人間関係』(産業編集センター)。SNS時代、そしてコロナ禍を経た今、広く読まれてほしい本だ。(吉川拓)
バーでも居酒屋でもレストランでも、その空間でなされる人とのかかわりあいは、一冊の本のような豊かさがあると思うことがあるが、本書はまさにそれが本のかたちとして結実している。まるで、著者・林伸次氏の人生と店の歴史、そしてお客さんたちの人生が詰まっているようでもある。
林氏は東京・渋谷でボサノヴァとワインのバー「bar bossa(バールボッサ)」を25年間もの長きにわたって経営してきた。夜毎カウンター越しに見て聞いてきた人間関係の考察をもとにしながら、仕事、友人、恋愛、家族などの悩みに答えていく。
たとえば、初対面の人との会話を盛り上げる方法、仕事ができるのはこんな人、他人に嫉妬しない方法、止まらない承認欲求への対処法、相手との関係を一歩進める方法などなど。誰もが知りたいトピックばかりじゃないだろうか。それに対して、林氏は自身の体験談やお客さんから聞いたエピソードを交えながら、やさしく説得力のある会話口調で、核心をついた回答を連発する。
本書のもとになった記事が掲載されていたウェブ媒体「cakes」(現在はサービス終了)は購読数によって原稿料が変わることもあって、「どうやったら読まれるのだろう」と考えながらの執筆だったという。だからこそ、先述したキャッチーな話題が並んでいるのだが、本書の魅力はそれだけではなく、林氏が軽快で魅力的な筆致で綴ることによって、バーという空間のコミュニケーションを擬似体験できることにある。
たとえば知人とバーに行って、悩みを打ち明けられた場面を想像してほしい。そこでは林氏が指摘するように、スマートな打開策を求められていることもあれば、ただ傾聴し共感してほしいだけ、ということもあるだろう。いずれにせよ、悩んでいる人がより良い方向に向かえばと願いながら言葉を重ねる。それがうまくいかずに、失敗することだってあるかもしれない。
ともあれ重要なのは、その二人のコミュニケーションが時間をかけながら丁寧に行われること、そしてそれを温かく包み込む場所があることなのだ。本書を読んでいると、林氏が店主であると思しき、どこか味わい深いフィクショナルなバーが立ち上がってくる。そこは人々の安らぎの場であり、逃げ場であり、出会いの場であり、別れの場でもある。日々の生活に心地よい風穴を開けてくれるそんな場所は、誰にとっても必要な場所である。
コロナ禍以降、街の飲食店の賑やかさが失われた時期があった。都心を歩くと、店の明かりがなく真っ暗になっていた物寂しい光景を今でも思い出す。そこで失われていたのは、数値化してクリアには示すことのできないもの、本書に凝縮されているような、人と人とのかかわりあいなのだと気づかせてもくれる。
「お店にはいろんな人が集まってきます。流動的な知り合いがたくさんできます。そんな人と人との接点になれるお店をずっと渋谷でやってこられたのが、僕の人生の財産です」(「二四年間バーカウンターに立ち続けて実感できた喜びとは?」より)
本書はそんな「人と人とのかかわりあい」からでしか得られないような、豊かな経験知であふれている。だからこそ、あなたに馴染みのバーがあるのなら是非とも読んでみてほしいし、まだ見つかっていないならば、行きつけとなるバーが欲しくなるかもしれない。立ち寄ることができるならば、「bar bossa(バールボッサ)」に顔を出してみるのが良いだろう。
そこではまさに林氏が本書に込めた思い、「あなたの人生をほんの少し、楽しい時間」にできるような、新たな出会いと気づきが待っているはずだ。