「散歩」ではなく「徘徊」エッセイーー『ピエール瀧の23区23時 2020-2022』は、読者の視点を変えてくれる名著だ


 古今東西、街歩きにまつわる名著は数あれど、そのゆるさとしょうもなさにおいては随一とも言える大著が出現した。『ピエール瀧の23区23時 2020-2022』(産業編集センター)だ。

 本作は2012年に刊行された『ピエール瀧の23区23時』(同社)の続編。前回同様、夜散歩好きのピエール瀧氏が、東京23区を23時前後に「ほっつき歩いた」記録をユーモアあふれる会話と写真で伝えている。今回は、一時は世間を騒がせた氏の「その後」の時期、さらには2020〜22年のコロナ禍という時期の貴重な記録にもなっている。

北区編の飛鳥山公園にて

 瀧氏の夜散歩には2つのルールがある。1.「23時になったら写真を撮る」2.「100円自販機を見つけたら味見する」。たったそれだけ。あとはその都度、自由気ままに街歩きを楽しむのだ。

100円自販機で飲料を購入するのがルールのひとつ

 本書は本当に何もかもが自由に進んでいく。千代田区の日枝神社、江東区の東京オリンピック会場予定地など、人々が気になりそうなザ・散歩スポットに行くこともあれば、練馬区の石神井公園では昆虫採集にいそしんだり、杉並区ではなぜかレンタルスペースをいくつも借りてハシゴしたり。

 コンセプトも方向性も揺れに揺れているのだが、同時に散歩には本来、そんなものはなかったことに気づかされる。歩くことのまったく予想できないハプニング性、そして無為に身を委ねる実践の記録なのだ。そうしたスタンスであるからこそ、東京の夜の重層的な魅力が浮かび上がってくる。

 散歩という言葉を使ってきたが、ピエール瀧氏は本書で「徘徊」という言葉を使う。あらゆる目的を排して、蛇行に蛇行を重ねる、ほっつき歩きの実践。これは無駄であることを美徳とする氏の「生き様」とさえ言えるだろう。

板橋区編の高島平団地にて

 それに現在、散歩は老若男女に人気のコンテンツだ。テレビ番組や書籍で度々登場し、健康のためであったり、仕事の効率であったりと「目的」あるものと化している節がある。そうしたコンテンツの制作現場では、毎回取材の成果や収穫を気にしていることは想像にかたくない。街歩きの人気長寿番組となった「モヤモヤさまぁ~ず」でも、出演者とスタッフが「撮れ高OKか」を相談する様子が映し出されているのもその証左である。

 けれど本書は、そんなものは気にしていないと思わせるほどのゆるさで、読んでいるこちらが心配になるほどだ。その目的のなさは、現代社会では逆に痛快に映る。各章の最後にピエール瀧氏が歩いたエリアを一言で評して終わるのが恒例なのだが、中央区は「う〜ん、酔っ払ってるから思いつかない。じゃあ、革靴の街!」「江東区は基本モノを置いておく場所、スーパーストックタウン!」。とりあえず歩いたら、それだけで良いのかもしれないと考えさせられる。

 その根幹にはピエール瀧氏が本企画を「遊び」と捉えていることがあるだろう。「遊びに付き合ってくれる人たちと一緒に歩いて、遊びが何か形になったら良いなくらいな感じでやってるんで、あんまし仕事の概念じゃないんだよ」とのことなのだ。

23時ちょうどにポーズをとるピエール瀧

 瀧氏が睡眠のゴールデンタイムと言われる23時に「徘徊」するのは、「散歩」を本来のスタイルに戻す行動であり、それを我々読者に投げかけているようにさえ感じてしまう。

 昨今、ネットにあふれるコンテンツは人々の関心をいかに集めるかに躍起になっている。そんなアテンション・エコノミーの時代には、動画配信サイトは視聴者のデータを収集し、それを生かした制作で隙間時間を取りあっているし、中学・高校生でさえ「いかに拡散するか」という観点で短尺動画を制作していたりする。

 作品が人々を魅了するのは意義あることだろうが、同時にギスギスしたエンタメ制作の競争に、飽き飽きしている人がいる側面も拭いさることはできない。生み出される作品のうち、人々から見向きもされない、つまらないものは排除される傾向が強く、ものづくりに対する感覚が真面目すぎて、隙がないのだ。

 一方で、本書のほっつき歩きを見て欲しい。あふれかえる無駄極まりない喋り。隙だらけというか、「隙」だけのコンテンツでもある。今の時代には排除されるような無為が詰まっていて、逆に最もクリエイティブで貴重なものに見える。

 東京街歩きの名著であるーー植草甚一『ぼくの東京案内』、赤瀬川原平、南伸坊、藤森照信『路上観察学入門』、都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』、中沢新一『アースダイバー』などの系譜の、視点を変えてくれる名著といえるかもしれない。それに往年のサブカル雑誌のファンであるならば、「こんな連載あったな」と思わせる、ネット時代の新たな転生物の新ジャンルともいえそうだ。

 もしあなたが「目的」を持って読んでタメになる本を探しているならば、ビジネス書や自己啓発のコーナーにふさわしいものがあるかもしれない。しかし深夜、未知なるものに触れてみたいという、止むに止まれぬ衝動に駆られたとき。もしくはただ単に忙殺される社会で生きていくのがしんどいと感じたとき、この本はあなたの生涯において自分自身に立ち返らせてくれる、強い味方になってくれることだろう。

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