【伊集院静さんが好きすぎて。】気鋭の放送作家・澤井直人が語る「伊集院静さんと“二拠点生活”」

 私生活のすべてが伊集院静「脳」になってしまったという放送作の澤井直人。彼がここまで伊集院静さんを愛すようになったのは、なぜなのか。伊集院静さんへの偏愛、日々の伊集院静的行動を今回もとことん綴るエッセイ。

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 伊集院静さんの書籍を読んでいる多くの方はご存じだろうが、十数年前に奥様の実家のある仙台に居を移された。

 現在は、東京・御茶ノ水にある“山の上ホテル”と自宅のある“仙台”を往復する生活をされている。

  山の上ホテルは、東京都心にありながら、クラシカルな西洋建築を楽しめ、出版社の多い神保町や神田から近いこともあり、1954年の創業以来、多くの作家に愛されてきた。

 川端康成、池波正太郎、吉行淳之介、松本清張など、多くの文豪の常宿として知られ、
「直木賞や芥川賞の受賞後、一作目を山の上ホテルで執筆するとヒットする」というジンクスも生まれた。メールやファックスの無い時代には、たくさんの編集者がこのロビーで原稿の完成を待っていたこともある場所だ。

 コロナ渦で、テレワークが進み二拠点生活をする人が増えてきたというニュースを目にすることも増えたが、誰よりも早く伊集院静さんはその形を実践されている。

 そんな私も、来年から“京都⇔東京”の二拠点生活を始める。家人が実家の会社を継ぐことになり、子どもと一緒に京都に拠点を移す。私は東京に住み続け、週末は京都に会いに行くという生活が始まる。

 提案されたときは正直驚いたが、元々京都は生まれ育った場所で、高校時分、京都の東山高校に通っていたこともあり、愛着のある場所である。いつかは住みたいというイメージは描いたりもしていた。(想像以上にそのときが早くやってきたが…)

 特に自分の中で大きかったのは、二拠点にすることで、実家の家族と会える時間も必然的に増えるということだった。快く賛成した。

 平日は、東京の風情が残る下町に引っ越し、週末になると、京都の妻子に会いに週末行く。完全に伊集院さんの生活スタイルを模範することになりそうだ。

 伊集院さんは、京都に住んでいた時期がある。伊集院さんの作品には、“花の名前”が多く登場するのも京都に住んでいたときに通っていた祇園のお店、『おいと』に活けてある茶花から教わったという。百種類近くの茶花を酔った目で眺め、三年間、四季を三度巡ることで覚えることが出来たという。

 そして、京都に存在する“奥ゆき”についても触れている。

 「京都には奥がある言いますやろ。けどほんまは、その奥に、また奥がありますんや」

 これは京都人がよく口にする言葉だ。京都の人は表面上での挨拶では、はんなりとして聞こえる京都弁から伝わってくる印象は、まことにソフトである。しかし、ソフト(やわらかい)だけで京都人は千年もこの都で生きながらえるわけがない。

 伊集院さんはそのルーツを“応仁の乱(1467年)”と結びつけて推測する。

  「あの百年以上続いた長い戦さの間、町家の連中は皆四方の山へ逃げるんですよ。そうして田舎から出てきた侍たちが殺し合いをしているのをじっと眺めているんです。気分としては、“ご苦労なこっちゃなあ~”という感じで。そうして、侍が疲れ果てて動けなくなると、のこのこ山から降りてきて、また商いをはじめるんですよ。つまり京都人は合理的なんですよ。そこが他の土地の人間と大きく違ってるんです。」

 これは確かに、家族を京都人に持つ私としても納得のいく推測だった。そして、この合理性の源泉になっているのは徹底した“個人主義”に繋がるとも推測されている。

   これは近代以降のフランス、パリの人々にも似ている。パリもフランス革命以来、何度も戦場となった。そんなパリの人々も戦争の間、じっとしていたのだ。

   ふたつの都人(みやこびと)に共通するのは、どんなことがあっても生き抜くという精神である。

   合理性、個人主義のバックボーンはそこにある。その結晶ともいえる象徴として、パリを中心としたフランス料理、京都を中心とした京料理が形成されていったのである。

  そういう根底にある、京都人の色は、私が追い求めている理想像と近い。京都という街は古い伝統を守っているだけのようにイメージされやすいが、実は全然違う。

   京都人ほど新しいもの、モダンなもの、異国にあるものを積極的に受け入れてきた街も珍しいのだ。

   その根拠に何十年も前から、若い人が新しい京料理の店をオープンしその店がそこそこ支持を獲得されていっている。最近聞いた話だが、知り合いの先輩も京都で“ジャパニーズ・ジン”を作られ、新しい文化に挑戦されて話題になっているという。

    京都人をはじめ関西圏に住む人は、新しいモノを喜んで受け入れる文化がある。

 そんな、京都には私の好きが詰まっている。圧倒的好みの食文化がそこにはあり、出汁の繊細さは格別だ。意外と知られていないが、絶品のパン屋が数多くある街でもある。

 子どもの時分に、京都出身の父と祖母は毎朝パンを食べていた思い出がある。北白川にあるヤマダベーカリーさんにはパンの概念を変えられた。

  「まるでお米みたいな飽きがこないパン」。はじめて、焼いてバターを塗って食べたときはそのサクサクもちもち食感に感動を覚え、意外かもしれないが、お味噌汁と一緒に食べたくなった。

 話は変わるが、日本一のサウナだと自信を持って言える六条にある “白山湯”さん。都内のサウナ施設は混んでいると只々息苦しくなるが、こちらは混んでいてもストレスは全くない。

 というのも、お客さん同士の関係性が心地いい。 「最近、美味しいお店ありまっか?」「お子ちゃんは元気にしてはるん?」など、日常会話が繰り広げられる。この空気が、京都弁も相まって実にあたたかい。コミュニケーションの場になっているし、この場所自体が文化になっている。

 そして、ここの名物は、なんと言っても“水”。京都には地下に天然水が流れており、その実力を思い知らされる。水風呂のライオンの蛇口からは、とんでもない量の水が凄い勢いで放水されていて、ペットボトル持参で街の人たちや料理人が汲みにやってきているのも中々見られない光景だ。

 個人経営の本屋さんも多く、藝術と文化も詰まった場所。京都に住み始めると、茶道やアート鑑賞の趣味も新しくはじめていきたいと思っている。この歳から京都を一から学び直していけるのは本当にありがたいこと。生まれた京都の町を知らないまま、歳をとっていくのは本当にもったいない。

 仕事の中心であるテレビ局が東京に集中する放送作家としては中々大きな決断だが、今は希望しかない。(来年からは伊集院さんの背中を追い、小説にも挑戦していきたいと思っている。)

 春は、梅、桃、桜、レンゲといった花々。夏の新緑、冬の雪景色と、秋の紅葉…
車窓から覗く四季を感じながら東京と京都を往復する日々が始まっていく。

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