『推しが武道館いってくれたら死ぬ』「ガチ恋」のオタク、アイドルたちの葛藤 それぞれの悩みはどこに向かう?
『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(徳間書店)は平尾アウリ著のアイドルとアイドルオタクについてのマンガだ。2020年にアニメ化され、22年10月現在朝日系列各局でドラマ化されている。通称『推し武道』は岡山県の地下アイドルグループ「Cham Jam」を応援するオタクで主人公えりぴよを中心にコメディタッチで描かれているマンガである。
えりぴよは「Cham Jam」の市井舞菜を応援するために、自分の時間や財産をかけている。舞菜を応援するためえりぴよは学生時代のジャージを普段から愛着しているし、ライブの整理番号は1桁代が当たり前で、握手などで舞菜と話せるときには、引き換えになるCDを大量に買う。えりぴよの存在は「Cham Jam」の他、オタクたちにも畏怖の念を抱かれている。このマンガは一見コメディに描かれる。『推し武道』の最初の巻数では、えりぴよが応援している舞菜とのディスコミュニケーションが主題だ。しかし巻数を重ねていくとテーマはアイドルを「推す」こととは? 応援することとは? アイドル好きが必ず抱くであろう葛藤が描き出されている。巻数を重ねるたびに「Cham Jam」のメンバーがアイドルとは? と疑問を抱き、成長や葛藤しているところにも注目していきたい。
特に他のアイドルと「Cham Jam」メンバーが仲良くなり始めたころから、アイドルも「Cham Jam」ファンたちも葛藤を始める。
『推し武道』の6巻では「Cham Jam」が他のアイドルグループと対バンすることになる。そこで別のグループを応援している女の子と、えりぴよの友人であり「Cham Jam」メンバー・空音の大ファンで、空音に本気で恋をしている男性の基(もとい)とファン同士の交流に葛藤が見てとれる。アイドルに本気で恋をしていることを「ガチ恋」という意味だ。その意味を理解してもらって、以下の女の子のセリフを読んでみて欲しい。
ほら
ガチ恋って言うと
厄介に見られるって
いうかなんで
だろうな
好きで
応援してるのは
みんなとおんなじなのに(中略)
好きって
強い呪いだから
自分では
解けないんですよ
アイドルに恋人がいると、「ガチ恋」のファンからは、ヘイトに似た行動をとられてしまうことがある。筆者は「好き」とは「強い呪い」だとは思っていなかったので、強い衝撃を受けた。もちろんガチ恋のファンも常識がある方がほとんどだ。しかしときどき現れる「ガチ恋」のファン故のアンチ行為は、「自分ではどうしようもできない」「強い呪い」のせいだと得心がいった。好きという感情は制御できないのだ。
また「Cham Jam」のリーダーである五十嵐れおにも前グループの解散という強い葛藤を経ている。
接触で売らないで
いくためには
パフォーマンスが
大事っていうのは
分かるんだけど(中略)
アイドルとしての
幸せって武道館
だけにあるものじゃ
ないと思うんだよね
わたしは
『推し武道』8巻に収録されている前グループにいたときのれおとメンバーの回想の会話だ。れおは「Cham Jam」のリーダーとして、武道館に行きたいという気持ちが強い。それでも「武道館以外の道」があることも知っている。しかし「Cham Jam」の他メンバーと出会えたことによって、れおの心中は大きく変化した。
「武道館に立つ」
アイドルに(中略)
わたしはたぶん
メイちゃんがいなきゃ
今みんなと
武道館
目指してなかっただから
みんなと会うのは
このタイミングでよかったんだって
前のグループのリーダーのメイと会うことによって、れおの心の中の想いが固まっていくのが丁寧な描写から見てとれる。
えりぴよは舞菜の「ガチ恋」ではないが、舞菜のことを心から愛している。えりぴよの行動には迷いがない。ただ舞菜を応援し続けるのみ。しかしそんなえりぴよにも『推し武道』9巻で思考の迷いを見せる。
舞菜ファンと一緒にライブを楽しんでいる最中だ。
もう
私は一人じゃ
ないから
みんなでみんなで舞菜を
武道館に
連れてい行ける…つれて行ける?
オタクが?
つれて行って…
もらう?
えりぴよのモノローグが何よりも印象的だ。ファンがアイドルを連れていくのか、アイドルがファンを連れていくのか。
メビウスの輪のようなこの難題に、社会学者の香月孝史はアイドルの「現場」に「饗宴」を見出す。
たとえば、西洋近代劇的な舞台上映では部隊と客席と截然分れて、観客は舞台に介入せずに見守ることになる。それに対して、歌舞伎は両者が密に接触をもち、舞台上と観客との往還、さらにいえば共同演出を前提とするような性格を持っている。(中略)ごく表面的なレベルでも、このような事例はアイドルの「現場」との相同性を見出しやすい。(中略)ステージの上のパフォーマーと観客とは送り手/受け手という単方向の関係にあるわけではなく、コミュニケーションの往還が前提になっている。このような場としての、アイドルの「現場」にも饗宴的な性格を見ることができる。
(香月孝史『「アイドル」の読み方 混乱する「語り」を問う』(青弓社)p.135~136)より
ファンが応援し、アイドルがそれに応える。アイドルのライブは双方向コミュニケーションである。
『推し武道』9巻ではラストに大きな爆弾的告知がなされて終わった。10巻の発売を筆者はいまかいまかと待ち続けている。