甲子園に響いた応援曲「市船soul」が持つ、深くて熱いドラマ “吹奏楽小説”の豊かさを考察

 夏は吹奏楽にとってもっとも大変な季節。高校野球の応援に野球場で奏でられ、全日本吹奏楽コンクールの出場を目指して全国各地のホールで奏でられる。そうした中、今夏は甲子園の高校野球で「市船soul」というドラマチックな生い立ちを持った楽曲が、初めて演奏されて話題になった。映画にもなった中井由梨子のノンフィクション『20歳(はたち)のソウル』(幻冬舎文庫)を読むと、「市船soul」のメロディが甲子園に響いたことに、どれだけの意味があったかが分かって涙がにじむ。

 15年ぶりに千葉県代表として夏の甲子園大会出場を決めた船橋市立船橋高等学校の応援で、チャンスになると奏でる楽曲が「市船soul」。短いメロディとかけ声を繰り返すもので、早稲田大学の「コンバットマーチ」のように一般化している楽曲と違い、ほかの学校やプロ野球の応援団が奏でているのは聞かない。

 「市船soul」は市立船橋高校の吹奏楽部に伝わる楽曲で、そして2017年1月に20歳で亡くなった浅野大義さんが、市船の吹奏楽部員時代に作曲して遺したものだ。それが、ようやく甲子園でお披露目できたということで、演奏する吹奏楽部員たちもグラウンドで浴びる野球部員たちも奮い立った。

 この「市船soul」の誕生と、作曲した浅野さんの障害を負ったノンフィクションが、『20歳のソウル』だ。作家・演出家の中井由梨子が、新聞のサイトに掲載された浅野さんと「市船soul」のエピソードを読んで吹奏楽部の顧問に連絡をとり、本にさせて欲しいと頼み許可をもらって執筆した。

 中学時代からトロンボーンを吹いていた浅野さんは、「レッツゴー習志野」という人気曲を“美爆音”で奏でる吹奏楽部を持つ習志野高校に不合格となり、市船に進んで吹奏楽部に入る。夕方遅くまで厳しい練習を重ね、応援やコンクールに向かうストーリーは、吹奏楽部が舞台になった武田綾乃の小説『響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~』(宝島社文庫)をリアルにしたかのような内容だ。

 浅野さんが3年生だった2013年、「レッツゴー習志野」のようなカッコ良い楽曲があれば、野球部が千葉県予選で習志野に勝って甲子園出場を果たせるのではといった話が出た。『20歳のソウル』によると、最初は別の部員が作曲するものと思われていたが、当人が失恋して力が出ないという高校生らしい事情で辞退。代わりに浅野さんが、短調の方が日本人の心に残りやすいといった傾向も踏まえて「市船soul」を作り上げた。

 以来、高校野球の地区予選や、数多くのプロサッカー選手を輩出しているサッカー部が出場した大会などで奏でられてきたが、甲子園という夢の舞台では奏でられてこなかった。その間、音大に進んだ浅野さんにガンが見つかり、治療に努めたものの2017年に浅野さんは亡くなった。

 弱っていく体調を押して、浅野さんが後輩の定期演奏会を聞きに行くほど音楽を愛していたエピソードに触れると、甲子園に響く「市船soul」を聞かせてあげたかったという思いが浮かぶ。2022年の甲子園でそれがようやく叶った。沖縄代表の強豪、興南高校を相手にした8月8日の第4試合で、1回裏の市船の攻撃開始時から演奏されて、3塁までランナーを進める好機を後押しした。

 リードされていた8回裏では、同点に追いついた場面で演奏されて選手たちを鼓舞した。そして9回裏、満塁からのデッドボールで市船がサヨナラ勝ちしたことで、「市船soul」のメロディが次の試合でも甲子園で流れ続ける。『20歳のソウル』を読んで楽曲にまつわるドラマを知れば、試合への興味もグッと増すことだろう。

 『20歳のソウル』には、浅野さんが3年生の時、吹奏楽コンクールの地区大会で金賞をとりながらも代表に選ばれず、全日本に進めなかったエピソードも登場する。『響け!ユーフォニアム』で主人公の黄前久美子が、2年生だった時に経験したのと同じシチュエーション。浅野さんたちが味わった悔しさに触れた上で小説を読むと、フィクションのキャラクターたちの感情にリアリティが乗ってくる。『響け!ユーフォニアム』が作者の経験と綿密な取材によって、現実にあり得そうな内容になっていることも大きい。

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