ISHIYA著『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』第一章より「#01 実家全焼事件」全文公開

『MASAMI伝』「#01 実家全焼事件」全文

 THE TRASH、GHOUL、BAD LOTS、MASAMI & L.O.X、SQWADでボーカリストを務め、1992年に34歳の若さでこの世を去った片手のパンクス・MASAMIの生き様に迫ったノンフィクション『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』が、本日4月30日に株式会社blueprintより発売された。

 『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』は、FORWARD/DEATH SIDEのボーカリストとして国内外へジャパニーズ・ハードコアを発信し続けてきたISHIYAが、自身の体験をもとにシーンの30年史を綴った書籍『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』(2020年/株式会社blueprint)の番外編。MASAMIから多大なる影響を受けたISHIYAが、遺族や関係者へのインタビューを通してその人物像を浮かび上がらせた一冊で、真のパンクスの生き様を伝える魂のノンフィクションとなっている。

 発売を記念して、リアルサウンド ブックでは本書の第一章「右手を失った少年」より、「#01 実家全焼事件」を全文公開する。

#01 実家全焼事件

 筆者やマサミの友人たちが知る、大人になってからのマサミという人間の形成には、幼少期から少年期にかけての経験が色濃く関わっているはずである。そこで幼少期からのマサミをよく知る彼の叔母に話を聞いてみると、マサミは幼少期から少年期にかけて、過酷すぎる経験をしていた。


 どんな人間でも、その人間なりの過酷な経験はあるものだが、決して自らの経験と比べろと言っているわけではない。マサミという人間を知るためには、彼の物心がついた頃の事実を記しておくことが必要不可欠である。

 マサミの本名は細谷雅巳。昭和33年(1958)8月29日生まれで、千葉県夷隅郡の出身である。房総半島中心部近くの山深い風光明媚な場所で生まれ、近くには養老渓谷もある、非常に自然豊かな山間で幼少の頃のマサミは育った。両親とふたりの弟がいるのだが、弟とは歳が離れていたこともあり、叔母にあたる親戚のお姉さんと姉弟のように育ったという。

叔母「近所に友達がひとりかふたりはいたんですけど、私がどっかに行くときはだいたいくっついてきてましたね。私も姉がひとりしかいなかったものですから、マサミの方が年が近いので自分の弟みたいな感じで遊んだりしてました。彼としては自分の兄弟は私だけとしか思ってなかったんじゃないですかね。マサミと下の子たちは歳が離れているので、あまり兄弟意識っていうのはなかったかもしれないです」

 マサミを知る筆者としては、叔母の後についてまわるという幼少の頃のマサミの姿は、ちょっと想像がつかない。しかしマサミという人間の根底には、こうした幼少期から青年期の経験が大きく影響していると感じる話を多く聞かせてもらえた。

叔母「マサミは、あんまりいろんなことに自分から向かっていく子じゃなかったんですよね。父親がちょっと自分自身が強い人だったので、厳しいっていうか、圧力というか......。そんなのが多くて、マサミはちょっとかわいそうだなって思ってました」

 1958年生まれであるマサミの時代背景として考えると、一般家庭では家父長制が強く残る時代でもあっただろう。特に田舎であれば、それが家庭内に色濃く反映されていたのではないだろうか。事実、叔母によると、マサミ家というのは父親に対して口答えできない状態だったようで、叔母がマサミをかわいそうだと思っていても、口出しすることもできない雰囲気だったという。

叔母「父親はマサミに関わらないというか......マサミは長男だったんですど、可愛がるっていうことはあまりなかったですよね。でも、マサミの下の弟は、ほぼどこへ行くにも一緒に連れて行くといった状態でしたけど」

 同じ自分の子どもでありながら、愛情の注ぎ方が大きく違うことに驚くが、父親がマサミに対して辛い態度をするようになった原因と思える最初の事件がある。

 マサミがまだ小学校に上がる前のことだった。現在は廃屋となってしまっているマサミの実家だが、その家に住む以前、現在マサミが眠る墓のすぐ近くに空き地があり、マサミが生まれてしばらくはその場所にあった家で暮らしていた。山深いマサミの実家の家屋のまわりには、藁の束のようなものが置いてあったという。当時からいたずら好きだったマサミが、遊びのつもりで火遊びをしていたところ藁に火がついてしまい、木造だった家屋に火の手が回り全焼してしまった。

 
取材するにあたり、筆者はマサミの墓と実家周辺を訪れてみたのだが、墓まで行く坂は舗装されていない広めの山道といった感じのかなりの急勾配で、消防車が入るにはかなり困難な立地条件であった。事実、筆者たちが行った車では入ることが難しく、案内してくれた叔母の車で墓の近くにある親戚筋の家まで行き、そこから歩いて行くような場所だった。

 普通に行くにも困難な場所で、消防車が入れるのかどうかさえ微妙なところである。消化作業にかなり手こずるであろうことが容易に想像されるため、そういった全焼してしまうような条件も重なっていたのではないかと思える立地条件だった。

叔母「マサミに対する父親の態度の原因のひとつとして、実家を火事にしてしまったのもあると思います」

 藁の束などに誤って火がついてしまったのか、故意に火をつけたのかはわからない。しかし大人になってからのマサミのいたずら加減を見ると、通常では考えられない、いたずらのレベルを超えたものが多かったので、幼少の頃から「これ以上やってはいけない」という限度ラインが他の人間のよりも上にあり、ギリギリの危険範囲でいたずらを楽しんでいた可能性は否定できないところである。

 今現在、ライブハウスに来ていて、マサミを知らない人間からすると到底想像のつかない、通常のいたずらの範疇では収まらない行為の数々であった。スタンガンや催涙スプレー、ムチやナイフ、警棒などを対人使用するのだが、様々な武器が手に入って使うときのあのニコニコした笑顔は、いたずら好きな子どもと何ら変わらない笑顔だったように思うのは、筆者だけではないはずだ。

叔母「元々いたずら好きだったのかもしれないですね(笑)。小さいときに思ってたことをみんなが受け止めてくれたから、大人になってもそうやってたのかもしれませんね」

 父親から愛情を全く注がれないという状況だったが、子どもにとっては何が起きようと、どんなことをされようと、親は親である。まだ年端もいかぬ子どものいたずらなどというものは「自分を見て欲しい、自分を気にして欲しい、自分に構って欲しい」という心の裏返しである可能性が大きいと思える。父親に相手にしてもらえないマサミが、一番自分を見て欲しかった親に対して行った自己表現方法。それが「度を越したいたずら」だったということもあり得るだろう。そしてマサミが小学校に上がった頃、マサミの人生で最大の事件となる「ダイナマイトで右手を吹っ飛ばす」という出来事が起きてしまう。

 筆者が聞いたマサミの片手が無い噂にはいろいろなものがあった。
「ヤクザに斬り落とされた」「喧嘩で人を殴って骨折してしまったが、治っていないうちからまた殴るので、右手が壊死してしまい切断することになった」という都市伝説的なものや「交通事故で失くした」「仕事の工場で機械に巻き込まれた」という事故説の他にも、中には「自分で食べた」というとんでもないものまで様々あったが、筆者は生前のマサミ本人には真相を聞くことはできなかった。

 しかし叔母に話を聞くことで、その事実の詳細がわかることとなった。

※続きは『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』にて

■書籍情報
『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』
著者:ISHIYA(FORWARD/DEATH SIDE)
ISBN:C0073 978-4909852-27-4
発売日:2022年4月30日(土)
価格:2,500円(税抜)
発売元:株式会社blueprint
blueprint book store:https://blueprintbookstore.com

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