心が苦しい時に読みたい「夜の航海」をめぐる本 臨床心理士・東畑開人が語る、現代の心とつながり

臨床心理士・東畑開人インタビュー

――東畑さんからみて、現代はどんな社会なのでしょうか。 

東畑:「小舟化」、つまり個人化が極限まで進行した社会だとこの本で書いています。30年前は会社や学校といった中間共同体の力が強く、多くの人が大船の乗組員として人生を航海していました。だからこそ「このままでいいのか?」「自分には違う人生があるんじゃないか」と、本当の自分について考えはじめる人が出てきて、集団を離れて自由な小舟に乗り換える生き方が輝いて見えました。 

 しかし現在、守ってくれる大船はもうどこにもなく、小舟の生き方が所与のものとなっています。自由に生きやすくなった半面、どうすれば生き延びられるか、不安が常につきまとうようになりました。 

――「小舟化」は、コロナ禍によって加速したとも言えそうです。 

東畑:コロナ禍はコミュニティが失われたあとの世界ですよね。コミュニティが剥奪されて、ひとりぼっちになる。この「自分はひとりだ」という感覚は、いろんな悩みの根底にあるものです。 

 「人間なんてそもそもひとりだろ」とよく言われますが、それは誤魔化されるべきものだと思うんですよ。死ぬときはそりゃひとりだし、皮膚は他人と自分を隔てています。それでも、ひとりじゃないと感じられるのもまた人間です。そのために、さまざまな文化があり、コミュニティがあったと思うんですね。コロナはそれを大きく損なってしまった。Zoomの通話を切ったあとなんて、それを痛感しますよね。 

――Zoomのウインドウが並んでいるのは、たしかにみんなで大船に乗っているというより小舟が寄り集まっている感じです。 

東畑:そうですよね。コミュニティを前提にできない僕らが、どうやってもう一度コミュニティを作っていくのか。そのためにさまざまな「シェア」がなされています。何かを共有する。すると、そこに共同性のつながりが生まれてくる。 

 最近、さまざまな場所でケアの思想が広がっていますよね。シェアのつながりとは、ケアの思想につらなるものです。孤立しやすい社会で「ひとりじゃない」という感覚を取り戻すためのつながりです。それはいわば、広場のようなところで、つまりみんなと一緒にいられる場所で安全につながるための技法です。 

 それが大事な場面もたくさんあるのですが、一方でひとりであることを引き受けて、もう一度誰かと深くつながることが必要なときもあると思うんですよね。それをこの本では「ナイショ」の関係と呼んでいます。

リスクや不快感とどう付き合うか


――ナイショのつながりについて、詳しく教えてください。 

東畑:ナイショのつながりは、コミュニティでの関係とはまた別の、親密な関係のことを指しています。パートナーとか、家族とか、親友とか、師弟関係とか、一歩踏み込んだつながりです。シェアのつながりが広場のつながりだとすると、ナイショのつながりは密室のつながりです。そこでは外からはわからず、本人たちにしか理解できない関係性というものが存在します。 

 問題は、密室では悪しきことも数多く起こることです。傷つきが発生するのは密室です。そこにはリスクがある。だから、安全を確保するためには、ナイショのつながりのほかに、シェアのつながりがあることが極めて大事です。ただ、密室でしか育まれない親密さというもの「も」あると思うんですね。 

 傷つけあうことを忌避するのではなく、引き受けてそれでもつながっていくにはどうすればいいのか。あるいはどういう局面に、そういうものが必要になるのか。「リスクや不快感とどう付き合うか」という方向でつながりを考えることもできるはずです。 

 今、リスクについての語りは基本的にリスク回避へと結びついていきます。しかし人間関係はリスクコントロールだけでは語れません。できるだけ快適に、安全につながるための技法はさまざまに語られている。だからこそ、そうじゃないつながりを想像するための言葉も必要なのではないかと考えています。 

 コロナ禍は僕らにリスクコントロールを徹底する思想を教え込みました。そのリスクをできるだけ排除したいと考えるのは正しいことなんですけど、人生はそれだけじゃないですよね。 

――リスクを考えることは、その先にある破局や喪失の可能性を見つめることにもなるのでしょうか。 

東畑:先日、「コロナの出口戦略についてお話をうかがいたい」という取材を受けました。その時思ったのですが、これから経済がどう回復していくとか、前向きな話ばかり求められるんですよね。でも本当は、コロナの時期に失われたものは一体なんだったのか、きちんと認識し、悲しむことが必要なのではないかと思いました。 

 たとえば修学旅行が中止になったことは、子どもたちにとって一体何が失われたことになるのか。オリンピックが残念だったのはなんだったのか。十分に話し合ったり、残念な結果に終わったことを受け止めたりする前に新しいトピックが来て、「高校生は次また頑張って」とか「冬季五輪に向けて切り替えよう」となってしまう。 

 余裕がないと喪失を考えることはできないから仕方ないんだけど、それでも喪失についてきちんと考えることには価値があります。喪失はただ不幸なことのように考えられていますが、もしそうだとすればこれ以上登れなくなった中堅の人生は防戦一方になってしまいます。でも実際はそうではなくて、喪失をきちんと悲しむことから、心は重要なものを得ていきます。それが人間というものです。 

 考えてみると、日本社会と中堅たちの状況は重なっているのかもしれません。どちらも理想が喪失し、これ以上登っていけない閉塞感があります。その中でどう生きていくのか。時間をかけてそれぞれの答えを探す必要があると思っています。そういう時代の空気の中で書いたのが、この本です。

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