出産に子供の同意が必要な世界ーー李琴峰『生を祝う』が問いかける“生まれること”の意味

 李琴峰が『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞し、その後の第1作目として発表されたのが、『生を祝う』だ。本作が「出産に子供の同意が必要な世界」の話だと知ったときに真っ先に頭に浮かんだのは、芥川賞受賞スピーチの冒頭である。

 彼女のスピーチは、

「生まれてこなければよかった」

いつからそう思うようになったのか、もはや思い出せません。

引用元:https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01180/

 から始まった。この「生まれてこなければよかった」という感覚を持つ人は一体どれぐらいいるのだろうかーー。

 流行病が人類を襲い、死と隣り合わせの状態が続いた結果、人々が「いかに死ぬか」を考えた末に、様々な国で安楽死が合法となった世界。死ぬ権利を得た人間が次に考えたことが、生きること、本を正せば、生まれることについてだった。この世界に生まれてくるかどうかを、胎児が選択する。そしてその胎児の意思を尊重しようというのが、『生を祝う』という物語の核となる「合意出生制度」だ。

 主人公である立花彩華は、妻の趙佳織との間に子供をもうけた。佳織の行き届いた優しさの中で暮らし、定期検診でも引っかかることのない健康状態を保てている。その定期検診の中で、妊娠14週を迎えるとわたされるのが、「生存難易度計測報告書」である。これは、生まれてきた子供が生きていく中で、どれだけ生きづらさを感じる可能性があるかということを、様々なデータを参照しながら数値化するものだ。そして、「コンファーム」という検査で、生まれてくる子供は、この数値をもとに、生まれる(アグリー)か生まれないか(リジェクト)を選択する。この子供の意思に反して出産することは罪に問われる世界なのである。

 そんな「合意出生制度」に反対する「天愛会」という集団が、今作の中でもう一つの核となる。「天愛会」が呈しているような思想は前時代的であり、「合意出生制度」こそが正しいと疑問を持たずにいた彩華だが、自分自身の出産と、思いがけない姉からの告白により、制度に疑問を抱くようになるーー。

 『生を祝う』の話の流れは、読者が彩華の気持ちの変化に自然に並走できるようになっている。彩華が「合意出生制度」を当然のものとしていたときには、こちらもそれが理にかなっていると思えるし、彩華が疑問を持ち始めて、自分の欲しい答えを探そうと奔走しているときには、そうなるのも無理はないと共感を持てる。

 しかしこの彩華への気持ちの同調は、ある意味危険を孕んでいるとも言える。自分が欲しい答えを探している時、人はひどく視野狭窄状態になり、情報がいかに正しいかどうかということが重要でなくなるということが、彩華を見ているとまざまざと分かる。産む/産まれるというセンシティブな問題にかかわることとなればなおさらだ。

 描写の細やかさも特徴的で、彩華は“同じ女だから”佳織も同じ感覚を共有できるだろうというありがちな過信をしていたり、二度出てくる「コンファーム」の場面で、担当する技師の対応に違いがあるなど、日常生活で我々がほぼ無意識で感じているような違和感が発生するように仕掛けられているのだ。そしてその違和感は、物語のなかで効果的に破裂する。

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