さいとう・たかをさんが漫画界に遺したもの 最晩年に若者に向けて語ったメッセージから考える

さいとう・たかをが遺したメッセージ

 2021年9月24日、『ゴルゴ13』などで知られる漫画家のさいとう・たかをが、すい臓がんのため死去した(享年84歳)。描いた作品のほとんどが大衆に向けた娯楽性の高いものだったせいか、あまり評論家受けするタイプの作家ではなかったが、彼が漫画(劇画)の世界に遺した功績は計り知れないものがある。

常に失敗が許されない状況

 さいとう・たかをは、1936年、和歌山県に生まれた。5人兄弟の末っ子だったという。中学卒業後、理髪店で働きながら漫画の習作を続け、19歳の時に『空気男爵』でデビュー。当時隆盛していた「貸本」の世界で頭角を現し、辰巳ヨシヒロ、松本正彦らとともに劇画制作集団「劇画工房」を結成――のちに彼らが発展させた「劇画」のジャンルは、“大人の漫画ファン”という新たな読者層、新たな市場を開拓していった(それまでの漫画は、基本的には子供たちのものであった)。

 また、さいとうの功績は、そうした新しいジャンルの発展・開拓だけではない。たとえば、複数の作画スタッフによる分業や、原作者(脚本家)やブレーンの育成など、現在の漫画制作の現場では普通に行われているシステム(作業の効率化・細分化)を確立させたのはほかならぬ彼だといっていいだろうし、自作の多くを刊行している出版社(リイド社)の取締役を務めるなど、プロデューサーないしビジネスマンとしての顔も持った稀有なアーティストだった。

 代表作はもちろん、世界を股にかけた凄腕のスナイパー、デューク・東郷の活躍を描いた『ゴルゴ13』だが、出世作となったアクション物の『台風五郎』や、革新的な時代物の傑作『無用ノ介』、そして、未曾有の災害を前にしても、“生きること”を決して諦めなかった少年の強さを描いた『サバイバル』など、その手がけた作品世界は広大であり、いずれもいま読んでもまったく古びていないのは、さすがというほかない(たとえば、『ゴルゴ13』第1話のあまりにもスタイリッシュな冒頭の場面などは、逆に“新しさ”すら感じるだろう)。

 また、小説や映画のコミカライズにも意欲的であり、池波正太郎の代表作を劇画化した『鬼平犯科帳』が最も知られている作品だろうが、それ以外でも、イアン・フレミング原作の「007」シリーズや、小松左京の大ベストセラー『日本沈没』なども劇画化(後者は「さいとう・プロ」名義)。さらに意外な(?)ところでは、特撮テレビドラマ『超人バロム・1』の原作も手がけている(原作のタイトルは『バロム・1』)。

 いずれにせよ、こうした幅広い仕事を60年以上にも渡りこなしてきたさいとう・たかをであるが、デビュー時から晩年にいたるまで彼が一貫してこだわっていたのは、(冒頭でも書いたように)“大衆のための娯楽作品に徹する”というプロ意識であった。

 それは、さいとうが若い頃、“読まれなければおしまい”という厳しい貸本の世界で鍛え上げられたせいもあるだろうし、1960年の「さいとう・プロダクション」設立以降、“ボス”として、数多くのスタッフを食わせていかねばならない立場にあったということも少なからず関係しているだろう(言い方を変えれば、ある時期以降の彼は、常に失敗が許されない状況にあった。それゆえ、安定した人気を誇る『ゴルゴ13』のシリーズに、長いあいだ最も力を注いでいたのもうなずけよう)。

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