本谷有希子が語る、ディストピア子育て論 「“人間らしい生活”なんて概念も、きっと通用しなくなっていく」
ふだんから“気持ち悪い”ものを探している
――二作目の「マイイベント」も、他者をコンテンツ化する渇幸(かつゆき)が主人公です。大雨により引き起こされるとされる、五十年に一度の記録的大災害を前に、はしゃいでいる彼の趣味は、災害の被害写真を収集すること。
本谷:災害をコンテンツ化するという悪趣味にとりつかれ、テーマパークに行くような感覚で楽しんでいる彼は、ネタにしてはいけないものをおもしろがっている、という点で推子と通じるものがありますね。オンラインにどっぷり浸かって、常に“世界”と繋がっている推子に対し、渇幸は「みんなは自分に自信がないからシェアしたり拡散したりして共有するんでしょう。僕には僕の視点があるから、そういうの必要ないんだよね」って感じで、個であることを強く自負しているという違いはありますが。
――渇幸は、マンションの最上階に住んでいるのが自慢で、大災害を前にしても、浸水の不安もないから余裕。ふだんから下の階をみおろしてはベランダにゴミを落とし、隣接するコンクリート工場の粉塵や騒音、振動に悩まされる低層階の人たちを馬鹿にしていた……にもかかわらず、避難してきた1階に住むバンバさん家族をしぶしぶ受け入れてから、事態が思わぬ方向に歪んでいきます。
本谷:この小説を書こうと思ったきっかけは、実際に、生コン工場に隣接したマンションに住んでいる人たちの話を漏れ聞いたことなんです。高層階ほど売値が高くなるのはあたりまえなんだけど、そのマンションではとくに差がついていて、低層階には空き室も多い、と。同じマンションでもストレス格差がすごいんだろうなと思ったとき、その環境を主役に何を書けるだろうか、と考えました。芝居をつくるときも、物語やキャスティングより先に“この劇場空間を主役にしたい”という思いから始まることが、ごくたまにあるんですよね。「マイイベント」も、彼らの住環境を描いてみたいと思ったところから、最上階から見下ろすことに執着する渇幸みたいな人がだんだんとできあがっていきました。
――彼の悪意が妙にリアルというか、わりと身近にも存在していそうで、「推子のデフォルト」同様怖かったです。奥さんの張美(はりみ)も、なかなかアクの強い女性というか。
本谷:私、彼女について書いた文章で気に入っているのが〈この話は(夫婦の間で)もう幾度となく繰り返されていたが、張美は昔から、同じ話を何度聞いても忘れる女であった〉というところ。張美って、何を聞いても、それが繰り返された話でも、「あ、そうなんだ」「へぇ~」って言うんですよね。要するに、何も彼女には響かないんです。渇幸のことも、口ではたしなめるんですよ。「もう、パパったら!」とか「そういうの、迷惑だよ」とか。でも何ひとつ本気じゃないし、何とも思っていない。渇幸のわかりやすい悪意とはまた違う怖さがあるんです。
――いちばん、ぞっとしました。自分に害が及びそうなことは強く言うけど、それ以外は他人にどれだけ迷惑がかかろうと、けっきょくは渇幸に同調していくじゃないですか。
本谷:そうなんですよね。張美のように、何も考えずに同意してくれる人が渇幸の傍らにいたからこそ、転がってはいけない方向に事態がどんどん加速していく。
――二人の会話だけ読んでいると、理想的な夫婦に思える瞬間があるのもまた……。ありあわせのものでつくった食事に、渇幸が〈言わなかったらこれがありもので作られたなんて、誰も思わないでしょ。店で出されたら千二百円は払うでしょ〉って言うところなんて、めちゃくちゃ優しいし最高の夫じゃないですか。
本谷:二人きりの会話を書くのはすごく楽しくて、筆が止まらなかったです(笑)。渇幸は決して、愚かな男ではなくて。意外と、人の嘘や欺瞞を見抜いているんですよね。SNSなんて大嫌いだけど、子どもと写った家族写真を張美がシェアしてくれることで、世の中に適合している人とみなされるから、いい目くらましになっている。仕事を妨害されたり白い目で見られたりしない程度には、みんなと同じであるフリをする、という冷静な姿勢ももちあわせている。
――冷静に、災害をコンテンツ化しているのがまた怖いですよね……。
本谷:2019年の台風19号が、50年に一度の大雨だって言われたのを覚えてます? 空港も封鎖されて、外に出ないでくださいって警報も出たあのとき、私も防災グッズを買い込んだんですけど、「この浮き足だったムードって何かに似てるな。あ、遠足の前の晩の感じだ」なんて思ってしまった自分がいたんですよね。
――渇幸も、防災用品をリュックにいそいそ詰め込んでましたね。
本谷:非日常を不謹慎に楽しんでしまう感覚は、心の中を覗き込むと意外とあるものなんじゃないかと。善意で心配することもまた、一種のイベントになりえてしまうような気もしますし。それを断罪するのではなく、小説として可視化することで、浮かび上がってくるものがあるんじゃないかと思いました。世の中には、言ってはいけないことが多くて、それは誰かを傷つけたり追い詰めたりしてしまう危険性があるからなんだけど、でも、言わないからといって“ない”ことにはならない。せめて小説の中には、その“ない”とされることを保存できればいいな、と思いました。
――「推子のデフォルト」も「マイイベント」も、否定しなきゃいけないものを否定しきれない絶妙な居心地の悪さがありました。だからこそ、なんで否定できないんだろう、私はこれの何がいやなんだろう、と考えさせられもする。
本谷:私はふだんから“気持ち悪い”ものを探していて。「推子のデフォルト」は、さまざまな教育メソッドが乱立し、自分もそこに翻弄される状況に対する「なんだこれ」という感覚から生まれましたし、「マイイベント」は、シェアって言葉が気持ち悪く響けばいいなあと思いながら書いていました。
――バンバさんに向けられたシェアという言葉は、最高に気持ち悪かったです。
本谷:よかった(笑)。たぶん私、シェアという響きだけで、あと一本は小説を書けると思います。
――書籍タイトルは『あなたにオススメの』ですが、推子と渇幸を通じて、知らず知らずのうちにコンテンツ依存におかされている自分にもはっとさせられる小説でした。
本谷:今回は「みんなが知っている共通の体験から話をつくっていこう」と思ったんです。「推子のデフォルト」で描いた、デジタル機器がどんどん浸透して、生活になくてはならないものになってしまった空気は、現代日本に住んでいる人たちならみんな知っている。書きはじめたのはコロナ禍以前ですけれど、消毒液をワンプッシュ手にすりこむ描写を加えたことで「価値観が一変した」という体感も匂い立たせることができた。「マイイベント」は先ほど言ったとおり、誰もが一度は感じたことがあるだろうムード、が基盤にある。その体感を、私というフィルターを通して、小説にしていく。そこで描きたかったのは、個人的な生きづらさではなく、今の日本に生きている人たちが肌で感じている時代の空気。読んで、何を感じていただけるのかはわかりませんが、「この感覚を私は知っている。知っているからには、自分にも書けたかもしれない」という小説を読むのが私自身、好きなので、皆さんにとってそういうものであればいいなと思います。
■書籍情報
『あなたにオススメの』
本谷有希子 著
発売日:6月30日
定価:1,870円(本体1,700円)
出版社:講談社